2コリント 5:17 キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです。古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた
紅梅のつぼみは飛天のイヤリング
六日市集会所でお聞きした句です。紅梅が、月の明りで照らし出されるさまを拝見し、神様の創造された世界は美しいと感動しました。とくに紅梅は老木にもかかわらず、その命を新しく生れてくるつぼみに注いでいる。その姿を拝見しながら、ああこれが生きるということだなと思いました。私たちの命はつながりをもった命です。おおくの命につながり、その命の想いや願いをいま受け継いでいる。そしてこれからも受け継いでいくのです。老木の想いにつながっているからこそ、新しいつぼみが美しくみえるのです。神様にとってかけがえのない命だからこそ、受け継いでいかねばなりません。
パウロは「キリストと結ばれる」という言葉を用いています。これは「キリストにある」ということです。「キリストにある」とは、新しい創造によってキリストの死と復活と結びつけられていることです。少し難しい言葉です。イエス・キリストの十字架の死と復活によって、私たちに新しい事がはじまったのです。この新しい始まりが、キリストと結ばれること、救いの確信へとつながるものです。古いものが壊され、新しく創造された神様との関係の中に信仰者は生きていくのです。
組織力分野の専門家がある本で「平凡な組織は新しい考え方を徹底的に嫌う」と書いていました。卓越した組織は常にイノベーション(革新)を探しているそうです。専門家は続けて平凡な組織の心理を次のように書いていました。「苦境に立たされ、新しいアイデアが必要な組織ほど、アイデアを一向に探そうとしない。このような組織は、自分たちの考え方は何も間違ってない、『周りの世界』から試練を与えられているのだから、考え方を変えても無駄だと思いこんでいる」と。つまり、新しく創り出す力が欠如している。創造力を失くしてしまったら、組織はだめになっていくということです。これは私たちの人生や信仰にもあてはまります。
パウロは「キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです」と教えています。新しく創造されるには、古いものにこだわっていてはいけません。常に日々新しく創造されるには、古いものの中にいてはできません。イエス様からいただくみ言葉によって、毎日新しく創造された私をして生きていきましょう。
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