フィリピ 2:16 命の言葉をしっかり保つでしょう。
「最後に砂糖で味を整えなければならない料理は、どこか基本が間違っている」という言葉をどこかで読みました。もうかなり前の話です。ところが料理を少しづつ作るようになると、その意味がちょっとだけ分かってきました。料理をしながらわかったことは、『塩』が料理の基本ではないかな~ということです。生意気なようですが、『いい塩梅』というくらいですからまんざらウソでもないと本人は思っているのですが。料理をしながら、神様が与えられている命を食べるという実感があります。神様の与えられた命であるならば、喜んで感謝してそのまま食べることが基本だと思うのです。信仰も最後に味を整えるのではなく、御言葉という味だけで勝負したいものです。
パウロは、神様の福音を「命の言葉」といいました。また、キリスト者として、福音という命の言葉をしっかり保つことが「誇り」であると教えています。この「福音」という一つのことに、パウロは全身全霊をもって働いています。全身全霊で働くことが保つということでもあります。
「言葉とは心の振動である」ということを聞きました。「好きだ」という心の振動があってはじめて、言葉として告白ができるというのです。振動ですから、音にならない言葉もあります。イエス様の御言葉も振動です。十字架という救いを、福音という御言葉の振動によって伝えてくださっています。この振動こそ聖霊の働きではないかと思います。心の振動を意識していないと、それはただの音になります。音では会話になりません。普段の会話も、命の言葉としての心の振動を大切にしてほしいと願っています。
パウロは、「命の言葉をしっかり保つ」と言います。言葉には命があるのです。言葉は「心の振動を伝える」のです。「ありがとう」の一言が人を生かすのは、その「ありがとう」に心の振動が込められているときです。私たちはイエス様から「命の言葉」をいただいています。その「命の言葉」が、どんなときでも励まし、慰めを与えてくれるのです。
(本日は、東京出張のため音声礼拝はお休みです)