教会を「聖なる空間にする」プロジェクトも少しずつ進んできました。私の信仰者として、牧師としての一つのテーマです。「聖なる空間」といっても、感じ方がちがいます。しかし、そこで自然と祈りへと導かれていく空間を目指していrます。
聖なる空間にする」というテーマを持ったのは、牧師になっていろいろな教会へ呼ばれるようになってからです。ここだけの話ですが、どこに呼ばれてもがっかりすることが多かったのです。「ここは物置?」「ゴミ箱はないのかな?」「なんで必要のない物が置いてある?」といった感想をもったのです。とくに説教壇をまずみます。ここが一番ひどいです。いつのかわからない週報をはじめ。ちびたローソク、マッチの燃えカス、敗れた聖書・讃美歌、クリスマスのローソク台。ある教会では、カビが生えたキリストの体(ウエハース)がありました。聖書台も同じでした。そこから毎週語られる神様のみ言葉って何か?とショックでした。
2年前、大江教会に派遣されました。さてその時の説教台、聖書台はどうだったでしょうか。礼拝堂は?玄関は?受付は?きっと長くそこに居ると見えなくなってしまう事が多いことでしょう。教会は内向きに見ることが多いように思います。そこに欠けているのは、新来会者の視点です。このままでよければ、何も変える必要はありません。礼拝堂も整えなくても、いまのままで満足していればよいのです。しかし、私たちの教会には、「み言葉を宣教する」というミッションを持っています。地域へ、九州学院へ、地域にある高校へ。それを考えた時、外に向かう視点、外からみる視点を必要とするのです。
「聖なる空間にする」プロジェクトは始まったばかりです。皆さんでできる参加をしていただきたいと願います。いままでにないルーテル教会を創造しませんか。