マルコ 6:31 イエスは「さあ、あなたがただけで人里離れた所へいって、しばらく休むがよい」といわれた。
「一日に何時間あればいいと思いますか?」というアンケ-トをビジネスマンにしたそうです。その結果、回答の平均は何と「二九時間一二分」だったそうです。皆さんあと五時間欲しいと思っておられるのでしょう。その五時間が生活にゆとりができる時間と考えておられるのかもしれません。しかし、実際には残業が五時間増えるだけになりそうです。この結果にもとづき売り出されたのが、二五時間時計です。とても実用性には欠ける品物ですが、飛ぶように売れていると聞きました。これに気をよくして売り出されたのが、十時までしかない時計です。もっとゆったりとした一日を送りたいと願っている人もいる、という逆転の発想です。この時計が飛ぶように売れているそうです。
イエス様が弟子たちを派遣されたとき「杖一本の他に何ももっていくな」と言われています。これを聞いた弟子たちは一生懸命に宣教したことでしょう。宣教する以上は「きちんと」「熱心に」「他人に配慮しながら」「しっかりと」「しかも迅速に」が求められていたことでしょう。しかし、本当にそうかなと思います。イエス様が何も持っていくなというとき、それは神様にすべてを委ねなさいということだと思います。それが出来ないから燃え尽きてしまいます。
賀来周一先生が信徒の友に「信仰者とこころの健康」と題して紹介されていました。先生は「いい・加減」のすすめと題してこの問題を取り上げておられました。まじめな人間ほど小さいときかた駆り立てられるような命令のもとに生きているそうです。たいてい5つの事柄で「完全であれ」「努力せよ」「他人を喜ばせよ」「強くあれ」「急げ」だそうです。牧師などは大抵まじめな方が多いようで、これに従って(支配されて)全力疾走しているものだから「燃え尽き症候群」になるといいます。これが親の言いつけを忠実に守ろうとする「良い子」の姿勢なのです。それでは考えるべきか?ある意識をおきながら、この5つを対処すればいいといわれます。どのような意識なのか。「いい・加減」です。5つには「ここまでにする」「これをするだけでよい」「自分が喜んでよい」「自然にふるまってよい」「時間をかけてよい」というおまじないを自分にかけてあげればいいのです。
イエス様も弟子たちの一生懸命にたいして「しばらく休みなさい」といわれました。「休んでいいのだよ」というメッセージをくださるのです。心の休みを持ちつつ与えられた働きをしましょう。神様に委ねる心のゆとりが私たちには必要です。
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