箴言 7:2 戒めを守って、命を得よ。わたしの教えを瞳のように守れ。
お歳暮のコピ-に、「きのうと同じだからおいしい。きのうと違うからおいしい」というのがありました。ふたつの反する意見でも、並べてみるとどちらもそうだなと思えます。これを宣教的な視点で考えてみました。クリスマスは毎年必ずやってきます。同じクリスマスでも、その人の置かれている状況や場所によって違いがあるのです。「いつもと同じクリスマス」だからこそ幸せと言える人もあります。「いつもと違うクリスマス」だからこそ感動と言える人もあります。ただ、どちらでもいいかなと思います。大切なことは、真面目にクリスマスをお祝いするという事だといえます。
箴言の7章には父の諭の中に、若者が女性に誘惑される場面がでてきます。聖書には「わたしが家の窓から、格子を通して外を眺めていると浅はかな者らが見えたが、中に一人、意志の弱そうな若者がいるのに気づいた」とあります。誘惑を受ける若者は、浅はかな者だけでなく、意志の弱い者であると忠告しています。
「父や母が教えてくれたこと」というテーマの本があります。人はそれぞれの家庭で、その家にあった教えをうけて成長します。その家庭が大切にしている教えでもあります。どの教えも「もっともだ」と思います。そのなかでもよく聞く教えは「まじめにコツコツと」というものです。人のすることはすべて神様が見ておられる。だから誤魔化さずに、「まじめにコツコツと生きること」だという教えです。この誰もみてないようでも、神様は見ておられるという教えは大切なものです。
箴言は、「わたしの教えを瞳のように守れ」といいます。瞳のようにとは、注意深く見つめることを意味し、目をそらさない、中心を見ぬくということでもあります。神様の教えをそのように守ることを教えています。み言葉から目をそらさずに、その教えをきちんと守っていくことこそ、まじめにコツコツと生きることなのです。その姿を、神様はいつも見ておられます。
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