フィリピ 3:13 なすべきことはただ一つ、後ろのものを忘れ、前のものに全身を向けつつ、
仏教ホスピスの会・機関紙にひとつ詩がありました。「きのうは変えられる。だって、自分の思い方を変えればいいだけだから」。なるほどだなと思いました。過去は変えられない。過去に縛られている。じつはそうではなく、過去を限定しているのは自分の思いなのだと。思いを変えれば過去は変えられるのです。
パウロは古いものにとらわれている人々に、目標をもって「前」へ進むことを薦めています。私たちは未来より、過去についてよく考えます。考えるだけならいいですが、過去の習慣や出来事にとどまり、そこから抜け出せないときもあります。後ろばっかり見ていると「前」へは進めません。方向を変えてまず「前のものに全身を向ける」ことです。そして方向を変えるには「今」の自分が救われていることを受け止めねばなりません。
カトリックの神父が書かれた黙想の本があり、そのなかに次のような一節があります。 「神に愛されようとして、自分自身を変える必要は全くない」自分を変えるというのは、悪いことではありません。しかし、神様のまえでは変える必要はない。これはどういうことでしょうか。それを考えることが黙想の初めなのでしょう。いろいろと思いめぐらせてください。思いめぐらせていくうちに、私たちが勝手に抱いている神様は、なんと小さい神様だったかが分かってきます。私たちは神様を抱くのではなく、神様から抱かれているのです。私たちをそのまま愛してくださる。欠点は多いがそのままを大切にされるのです。
パウロは、これまでの過去は、すべてイエス様に出会うためにあったと言います。つらいこと、苦しいこと、見たくない過去。それもすべてイエス様に出会うためのものです。だから今が大事です。パウロは、救われた今は「後」ではなく、「前」へ向かいなさいというのです。目標を目指して前を向きなさいと教えています。