ローマ 15:3 聖書から忍耐と慰めを学んで希望を持ち続けることができるのです。
「宅急便」といえば今、とても便利なものです。しかしこの会社を初めて考えた人のアイデアと苦労は大変なものだったと思います。先日ある本で「クロネコ宅急便」の歴史を読みました。そのとき会社を営業して第一日目に配達した荷物はいくつだったか初めて知りました。皆さんはいくつかわかりますか。実は二個だったそうです。この二個という数字に、当時の方はどう思われたでしょうか。これはいけると考えたか、やっぱり商売にならないと考えたか。もしそこでやめていたらいまの普及などなかったでしょう。未来を見つめ希望をもつことの大切さを教えられます。
パウロは、聖書から忍耐と慰めを学ぶことを勧めています。それは希望を持ち続けることができるためです。イエス様のみ言葉から、私たちは多くの慰めを学びますが、その中には忍耐も学ぶのです。すべては神様の恵み、愛を知るためだと言えます。試練が与えられるとき、み言葉を学んで慰めを与えられ、そこに神様からのみいただける希望をみていきたいと願っています。
2年前、東京ディズニーランドへいきました。あまりにも人が多くてびっくりしました。新しくできたアトラクションには長蛇の列。優先予約も朝の時点で締め切っており、最高は3時間半も待ちました。小さい子どもたちも、文句も言わずにきちんと並んでいました。たぶんそこには「楽しいこと」がきっとあるという希望があるからでしょう。入場ゲートのそばにきたとき(すでに3時間待っている)一人の子どもがスタッフのお兄さんに尋ねました。「何分乗れるの?」と聞きました。するとスタッフは「聞かない方がいいよ。これだけ長く待ったのだから、これだけ待ったのにと思ってがっかりするより、これから始まる楽しいアトラクションをしっかり楽しんでね」と。とてもすがすがしい言葉でした。楽しいことがあるという希望を持たせることばでした。
神様の救いも「必ずある」というものです。「必ずある」から希望をもつことができるのです。過去を見つめていくより、今週は先の希望を見つめる週にしましょう。
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