父の33回忌が行われ、阿蘇に帰ってきました。もうそんなに月日が経ってしまったのかと思いました。母も79歳になり、誕生日を祝いながらあっという間の時間を思いました。その時でした、ふと母に父は何歳で天に召されたのかを聞きました。自分が大学生のときだったので、その年齢までは覚えていなかったのです。
母は「54歳だった。あと数年で国鉄を定年退職だった」と。その年齢をきいて驚きました。じつは今の自分の年齢と同じだからです。父がこの世で生きた年数まで自分が生きてきたことに驚きと不思議な気持ちがしました。尊敬する父を、すべてにおいて人生で超えることはできないと思っていました。しかし、一つだけ超えるものがある。それが年齢だとは。思ってはいませんでした。
その瞬間にどれだけ父に愛されてきたかを思いました。54歳という年齢ので、天に召された父は、喜びも悲しみも痛みも楽しみもすべてを自分に引き受けてわたしを守ってくれていたのだと思います。その父に守られて生きてきました。だからこそ54歳を超える人生を考えることなどありませんでした。ここまで生かされてきたことの喜びを感じます。その喜びの裏にある父の痛みを知ることができました。神学校にいくことに何ひとつ反対もせず、送り出してくれました。神学校をやめると父に宣言したときも黙って話を聞いてくれました。気持ちが落ち着いて「学校に戻るよ」と言った時にも笑顔で「がんばらなんたい」と見送ってくれました。その2日後に天に召されました。
待降節を迎える今日、自分の人生を振り返っています。たくさんの罪を犯してきたなと思います。それでも神様に赦され生かされてきました。父なる神の愛を感じる季節です。しっかり自分を見つめ直して、御子の誕生を待ちたいと願います。