創世記 26:14 多くの羊や牛の群れ、それに多くの召し使いを持つようになると、ペリシテ人はイサクをねたむようになった
興味を持つということは面白いものです。ある時、牧師退修会が津和野で行われました。キリスト教にとって津和野(キリシタン殉教の地)はとても意味深いところです。宣教2世紀に入ったルーテル教会にとって、牧師たちが津和野から宣教2世紀を踏み出すことに神様の導きだなと思っていました。さて興味はそのことではなく、牧師会の最終日「ドライブイン津和野」で昼食をしたときのことです。自由にメニューを注文してよいことになりました。誰が何を注文するのかを興味深くながめていたのです。結果は中華丼・八宝菜定食・焼き肉定食・ハンバーグ定食・ざるそばが各1つ。圧倒的人気はうな重で13個でした。牧師は体力勝負なのでしょうか。自然と体が求めているようです。興味持ってみると面白いことも見えてきます。
イサクは、飢饉がカナンを襲ったとき難をのがれるためにゲラルという土地にいきます。そこは神様がアブラハムに約束の地カナンの最南端にあたります。その隣はエジプトです。人々は飢饉のとき、エジプトに食料を求めていました。しかし、神様はエジプトに行くなと命令されました。神様とアブラハムとの約束のとおり、カナンの地にて祝福をされる。その約束を信じ、神様に従うことを命令されたのです。イサクはゲラルに留まりました。するとゲラルの地で、多くの祝福をうけました。それに対してペリシテ人はねたむようになったのです。
「けんかをしない30の方法」というブログがあります。その一つに「ねたみ」があり、心理学による実験の話が書いてありました。自分の性格などを知る実験でした。ブログによると「ある女性に、とても美人で頭がいい人の話をしました。するとその女性は、大変にねたみをしたという結果が出ました。でもその反面、同じその女性に優秀な音楽家の話をしてもねたみしないという結果になってしまいました。またある音楽学生に、優秀な音楽家の話をするとねたみしました。その一方、美人で頭のいい女性の話をしても、ねたみするということはありませんでした」。ねたみがあるということは、それだけ興味があり、欲があるということをあらわします。つまり自分は何にねたむかで、自分の興味がわかるということです。
創世記ではイサクが神様の祝福をうけ「豊かになり、ますます富み栄えて、多くの羊や牛の群れ、それに多くの召し使いを持つようになると、ペリシテ人はイサクをねたむようになった」とあります。その後、イサクは井戸争いに巻き込まれていきます。ペリシテ人のねたみの本質は、多くの羊や牛、多くの召使でした。しかし本当にみておかねばならなかったのは、イサクの背後におられる神様の祝福でした。ねたむ相手の背後には何があるか、自分は何に興味を持っているかを考えることも大切だと思います。
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