マタイ 4:4 人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる。
子どもたちには、子どもたちだけにわかることばがあります。あるとき、お風呂の順番を待っている時のことでした。「はなちゃんは、ひとみちゃん」「まなちゃんは、ちあきちゃん」と言っているのです。なんのことだかさっぱりわかりませんでした。ひとみちゃんも、ちあきちゃんも幼稚園のお友達だというのはわかるのですが。実は、幼稚園の並び方が、1、2、3ではなく、背の低い順に「ひとみ・ちあき・はなみ」と覚えているらしいのです。ですからなんでも1番の人は「ひとみちゃん」。2番の人は「ちあきちゃん」になるのです。順番をいちいち決めるのが必要なら、子どもたちのやり方もいいかもしれません。「あなたはいつでも2番ね」というより、「あなたはいつもちあきちゃんね」と言われたほうが楽しいかもしれません。ことばは不思議な力を持っていると思います。
イエス様は洗礼を受けてのちのすぐ、悪魔から3度にわたって誘惑を受けられました。イエス様の活動が始まる前に、イエス様は神の子であるということを明確にしめしたものです。最初の誘惑は、40日間の断食で極限状況にあったイエス様に、人を生かすのは食べ物かどうかを問うたものでした。イエス様の答えは、食物は神様から与えられるから、神様を信頼し、その御言葉をいただくことが重要であると示されたのです。
テレビのインタビューで政治家が「政治はコミュニケーション」と言っていました。そしてコミュニケーションのためには「言葉をもたない政治家はだめだ」と。確かに言葉をもたない人が多くなってきています。外にむけて言葉を発することは大切です。その時感じたこと、考えたことを自分の言葉として語る。これがないと政治家も牧師もコミュニケーション能力不足と言われます。言葉を持つということは、ダラダラと話すことではなく、自分の意思を伝えることです。牧師にとっては信仰を語ることです。教会の中に生きた言葉が語られているか、生きるための神様の言葉があるかが問われています。
イエス様は「人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる」と言われました。人が生きるのは食べ物だけではない、神様の言葉が人を根底から支え生かしていると言われたのです。毎朝ここで行われる朝礼拝が私たちを生かす神様の言葉となるようにと願っています。
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