マタイ 11:27 父のほかに子を知る者はなく、子と、子が示そうと思う者のほかには、父を知る者はいません。
「この頃、数学教育で、なにより憂慮されることは、解答が誤りとわかると、すぐに全部を消してしまう生徒が増えたことだ」と、数学者の森毅さんが指摘されていました。私たちは人生の中で誤ることは多々あります。また、わからなく迷うことも多々あります。大切なことは、どこで誤ったか、何に迷ったかを知ることです。誤りや迷いを全部消してしまっては、それを知ることはできないという意味でしょう。私たちの信仰生活でも同じだといえます。自分はどこで迷ったか、誤ったかをはっきり知らせてくれるのが「聖書(みことば)」です。自分の失敗を知れば知るほど、神様の愛がよくわかります。
マタイによる福音書の11章25節~は、3つの視点からみ言葉がのべられています。1つ目は父なる神様への祈り、2つ目は父なる神様と子なるキリストの関係、3つ目は「わたしのもとにきなさい」という招きの言葉です。この3つともイエス様が父とよばれる神様がどのような方かを教えています。イエス様が示される神様を知ることの大切さを教えておられます。
帯広友の会で、東日本大震災救援活動の報告をさせていただきました。気温は零下まで下がり、マイナス15度ということも聞こえてきました。帯広には自衛隊の駐屯地もあり、ここから多くの方々が被災地救援に来ておられたことを思い出しました。土曜日には友の会こどもクリスマス会でも話をさせていただきました。感想に「お父さんは自衛隊です。お父さんがどんな活動をしていたかがわかりました。うれしかったです」というものがありました。自衛隊の方々の働きは一番厳しいところにおられたので、子どもたちには話しておられなかったのだと思います。子どもたちはお父さんの働きを知り、誇りに思ってくれたようです。支援活動の中、お父さんが何をしてきたか知っている子どもは幸せだと思います。
イエス様は「子と、子が示そうと思う者のほかには、父を知る者はいません」と言われました。イエス様が示される方が私たちの神様であり、神様はイエス様を知っておられるのです。どちらも知っておられるのです。知っておられるからこそ、私たちもまた知ることができます。イエス様をとおして示されているみ言葉が神様を知る唯一のものであり、知ることが救いへと導いてくださるのです。
<音声礼拝説教は「神様の色鉛筆」でどうぞ!>