マタイ 26:37 ペトロおよびゼベダイの子二人を伴われたが、そのとき、悲しみもだえ始められた。
エルサレムには、キリスト教のエッセンスが凝縮していると感じることがあります。ところが、イエス様がエルサレムで過ごされたのは、わずか1週間にすぎないのです。しかし、ここにと思えるのは、そこで十字架の出来事があり、また復活が起こったということなのです。エルサレムの旧市街に、ビア・ドロローサ(悲しみの道)という道路があります。イエス様が死刑の判決を受けて、ゴルゴタの丘まで十字架を背負って通られた道です。ここには今もなお、多くの巡礼者でごった返しています。エルサレムでは一番の人気の場所です。キリスト者の多くがここを歩いてみたいと思っています。またここに自分の手で触れてみたいと思っているようです。そういう私も触れてきたのですが。
また、ビア・ドロローサを通って、聖墳墓教会(ゴルゴタの丘があったところ)へ向かいます。いまもなおイエス様の十字架が立てられた穴と、おさめられた墓が残っています。驚かされるのはその聖墳墓教会の石の門柱に、十字架がたくさん刻まれていることです。中世から人々はここをめざして、死の危険にさらされながらやってきます。悲しみの始まりに人ややってくる。
イエス様は十字架の出来事の前にゲッセマネで祈られました。ここにはオリーブの園があり、エルサレムから谷を隔てた場所にありました。十字架の苦しみが迫ってくるなか、ここで3回も苦しみに満ちた祈りをささげられました。聖書にはイエス様の苦しみを「悲しみもだえ」「死ぬばかりに悲しい」という表現であらわしています。
石巻のある漁港に、津波で奥様、お孫さん他17名を流され一人遺された漁師さんがおられます。1年たった今もご遺体は海から上がってきていないと教えてくださいました。漁師さんですから、力強くたくましく見えます。しかしその心の奥底にある悲しみはどれくらい深いのでしょうか。初盆に間に合わせた奥様の新しい墓の前で、震災以降はじめて号泣されたと聞きました。そして今年の正月には奥様のご実家に行かれ、奥様の家族に土下座して「守ってあげることが出来ずすみません」と涙ながらに謝罪されたといいます。ひとり生き残った方の中にある深い痛みを思い、受け止めることができない自分を悲しくて泣くことしかできませんでした。この時間は深い悲しみ中にあったのです。
イエス様はこの苦しみの中で、それを受け止め十字架への道を選びとられました。十字架はイエス様にとって自明のことではなく、深い悲しみ苦しみのはてに選びとられたものでした。津波のあと一人生きて行くということも悲しみと共に生きて行くことを選びとることです。この選びに寄り添えるのは十字架の主イエスだけだと思います。最後まで共に寄り添ってくださる方がおられる。
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