2テモテ 2:15 あなたは、適格者と認められて神の前に立つ者、恥じるところのない働き手、真理の言葉を正しく伝える者となるように努めなさい。
テレビを見ていると、ちょっと気になることがありました。言葉づかいについてです。最近、グルメ番組が多いのでしょうか、出演者が食べている映像が映ります。そのときの言葉づかいです。多くの出演者は男女問わず「うまい」「うめえ~」と言います。若い女性から「うめえ~」という言葉を聞くと気になります。むしろ「おいしいですね」という言葉が聞きたいものです。他にも「そして」「それから」「ところで」「いずれにしても」という言葉も反乱しています。言葉の乱れは心の乱れということを昔聞いたような気もしますが。若い牧師の言葉で一番聞きたくない言葉は「うぜえ」です。
パウロは、若い弟子のテモテに「適格者として認められた働き手」について教えています。まず「言葉をあげつらわないように」、また「俗悪な無駄話を避けなさい」と告げています。むしろ「真理の言葉を正しく伝える者になる」と忠告しています。正しく伝えるとは、まっすぐに伝えると言うことと同じです。
日曜日の夜のこと、何気なくテレビを見ているとイタリア料理のシェフの番組でした。31歳の若さでオーナーシェフとなり店を開店させた彼の生き方や考え方を紹介する番組だったのです。他にすることもないので、ついつい見てしまいました。その彼の言葉で印象に残ったものがあります。それは、できるだけ多くの時間をお客さんと過ごすこと。そして「おなか一杯になりましたか?」と聞くことだそうです。普通なら「美味しかったですか?」と聞くところですが、プロの料理人だから美味しいのはあたりまえ、どれだけ満足していただけたかが大切なことと言っていました。これにはなるほどと思わされ、ちょっとドキッとしました。それでは、教会へ来てくださった方にどのように声をかけるべきかと考えたのです。「神様の御言葉で癒されましたか?」というのは、教会ですからあたりまえのことです。「楽しかったですか?」でもないしと・・・。いったい十字架の主イエスはどのような言葉をかけてくださるのでしょうか。また、主イエスからどんな言葉をいただけると嬉しいのかとも考えてみました。どんな言葉であれ、その中に心がある言葉が一番欲しいと思います。礼拝には神様の御心がつまっています。
パウロは「真理の言葉を正しく伝える者となるように努めなさい」と教えています。神様のみ言葉は正しく伝えなければなりません。一字一句が神様の福音だからです。この福音によって人は生かされます。真理の言葉が正しく伝えられたとき、人はまっすぐに生きる者となるのです。
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