フィリピ 4:7 あらゆる人知を超える神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスによって守るでしょう。
東京事務局勤務のとき、毎朝同じ時間の電車に乗り、同じ時間に乗り換え、同じ時間帯に事務局に到着します。すると、必ず出会う人が数人います。その方も同じように生活をされているのだと思います。事務局に到着するのは6時40分頃ですが、毎回事務局横の坂を走って下りてくる親子に会います。お父さんの出勤に合わせて電車通学しているのかもしれません。まだ小学2年生位でしょうか。この子が事務局の角にくると必ず後ろを振り返ります。振り返ったマンションのバルコニーには、お母さんが手を振っているのです。毎朝のことです。この風景がとても微笑ましく、毎回清々しい気持ちになります。見守られているのだなと思うからです。
パウロは「主において喜びなさい」と言います。イエス様こそが喜びの源であり、この喜びは交わりを通して与えられると言うのです。また、「広い心をもって」と人々と交わりなさいと教えています。「広い心」はパウロの言葉ではここだけに用いられており、温和さ、忍耐をもって人々と平和に暮らしなさいということです。そのような生き方が、祝福であり、イエス・キリストによって守られる生き方だと言うのです。
教会には、多くのセールスマンの方がやってきます。事務機関係、電話帳、公告関係、新聞、有線放送、書籍などなど。先日もある業者の方がやってこられました。しかし、ちょっと首を傾げて帰っていかれたのです。その業種とは「セキュリティシステム」です。
セールスマンいわく「このシステムは防犯のために役立ちます。いろいろな方の入室が防げます。二十四時間体制ですので安全です」とのことでした。私は「この教会はたとえそれが泥棒でも入ってよいのです。二十四時間鍵はかけてありません。いろいろな方が自由に入室してもいいのです。神様みずからがセキュリティーです」と答えました。すると彼は「そんな無茶苦茶でいいんですか」と言うのです。
私たちにとって教会を守ることは大変なことです。しかし、それを機械まかせにしたり、誰かを雇ったりはできません。教会を守るということは、一人一人が祈るほかないのです。どうか祈ってください。教会がどんなときでも地域にたいしてオープンであることを、祈りで支えてください。神様の守りこそが最高のセキュリティーですし、そこに奇跡がおこるのです。
パウロは「キリスト・イエスによって守る」と語っています。私たちは人々と平和に過ごすことによって祝福をえます。そのためには、信仰による温和、忍耐、優しさを必要とします。常に見守っておられる方がそれを教えておられます。イエス・キリストのみ守りの中で、祝福にみちた1日を過ごしてまいりましょう。
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