ルカ 9:35 「これはわたしの子、選ばれた者。これに聞け」と言う声が雲の中から聞こえた。
娘の高校ではクラス終礼拝があり、生徒が順番に奨励をすることになっていました。話の内容は、友達のこと、部活のこと、家族のことなどが多いようです。そこで、娘に奨励でのネタを教えてあげることにしました。格言集を開くと次のような言葉に出会いました。「『listen(耳を傾ける)』という単語は、『silent(無言)』と同じ文字で出来ている」。良くできているなと感心しました。そのことを自慢げに娘に教えてみました。すると素直にきいていました。確かに耳を傾けて聞くときには無言でなければなりません。それができないので自分が話してしまいます。また無言の中には答えはありません。みな答えようとして聞いていると無言になれずに聞けなくなるのでしょう。聞くということの本質をもういちど考えてみたいものです。
イエス様の変容の出来事は、マタイ、マルコの福音書にもあります。3つの記事のなかでルカの特徴は、イエス様が祈っておられたときに変容の出来事が起こったことです。祈りという神様との会話がありました。また、モーセとエリヤとの会話もあります。その中でも興味深いところは、神様の言葉「これに聞け」という声(弟子たちとの会話)が聞こえたとき、そこにはイエス様だけがおられたと記しているところです。つまり、これに聞けとはイエス様に聞けということでした。
依頼を受けて、下関教会の結婚式奉仕に行っ時のことです。場所が変わればハプニングがあるもので、式が始まって結婚指輪が聖卓にないことに気がつきました。すぐに信徒のかたに合図を送り、探していただきました。そうこうしているうちに、説教壇にメモが届けられました。そこには「指輪はまだ披露宴会場にあります。すぐに来ます。少し説教をのばしてください」と書かれてありました。突然のことなので、いつもは十分で終わる説教を二十分かけてゆっくり話しました。もう冷や汗がでました。しかし、自分が話したものをその場で確認しながら、自分でも聞くという作業に恵まれました。そこで、聞いた自分が語る御言葉は「人生にはいろいろなことがあります。苦しいこと、悲しいことにぶつかります。突然起こってくる災難もあります。しかし、神様はきっと導いてくださり、それを乗り越える力を与えてくださるのです。それを信じてください」でした。
イエス様が山上で変容された時「これはわたしの子、選ばれた者。これに聞け」という神様の声が聞こえてきました。この出来事は変容の出来事ですから、これを見なさいといわれるのが普通です。しかし、神様は見るのではなく聞きなさいと言われたのです。つまりイエス様のみ言葉を聞きなさいということです。イエス様のみ言葉を聞くことは簡単なようで一番難しいことかもしれません。
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