ルカ 12:22 イエスは弟子たちに言われた。「だから、言っておく。命のことで何を食べようか、体のことで何を着ようかと思い悩むな」。
神楽坂に「インド料理」の店があります。とても不思議なお店です。毎日店の前を通るのですが、客を見たことがないのです。夜だけでなく昼もそうです。たまたまなのでしょうが、「大丈夫かな?」と思います。しかし、店で働いているインドのコックさんたちは平気そうなのです。私も最近まで心配していましたが、思い悩むことのない姿勢とはこのようなものなのか?と学んでいる次第です。とにかく、この店に入りたいという雰囲気ではないことだけは確かなのですが。私が心配して思い悩むことでもないなと考えています。なにか大きなものに任せている雰囲気はあるのです。
イエス様は「愚かな金持ちのたとえ」で、貪欲に対する注意を教えられました。その後、このみ言葉を弟子たちに話されました。烏は何も働かず倉などもたないが、神様は養ってくださる。「思い悩むことはない」。これは、神様が私たちを養っておられる。これに気づき、神様に感謝し、「神様を求めなさい」ということです。まず神様を求めることで、思い悩むことはなくなると言われるのです。
娘が小学校の時、5年1組日記というのを毎日クラス全員で書いていました。各時間に分けられて担当を決め日記風に1日をまとめているのです。昨日のはじまりは、「学校にくるまで・・・僕は今日何も考えずに学校へきました。とちゅうで犬のうんちがありました。くさかったです。おわり」と書いてありました。どこか違うのだけれど、なんだかほのぼのとしてしまいました。朝はやくから、今日はあれをしよう、これをしよう、これをしなければ、人生とは何か・・・と考えるより、何も考えず歩くのもいいなあと。そこに犬のうんちをみて、素直にくさかったといえることに、おかしいのだけれどよかったねと行ってあげたい気分でした。信仰生活もいろいろと考えて悩むより、なにも考えずに「主に感謝」と言える時間をつくってみたいものです。考えても、考えなくても救われた私には変わりがないのですから。
イエス様は「ただ、神の国を求めなさい。そうすれば、これらのものは加えて与えられる」と教えられました。思い悩まない方法は、神様を求めることです。自分のことばかり考えているとそこから抜け出せないものです。しかし神様を求めるとき、すべては与えられていることに気がつきます。イエス様は「ただ、神の国を求めなさい。そうすれば、これらのものは加えて与えられる」と教えられました。
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