ヨハネ 8:44 悪魔が偽りを言うときは、その本性から言っている。
と ってもきのユダヤジョークをおひとつ。
お祈り
母親「ママたちは、今夜お客様で忙しいけど、ベットに入る前に、ちゃんとお祈りしなくちゃいけませんよ」
娘「はい、ママ」
翌朝のこと。
母親「昨日の夜は、ちゃんとお祈りした?」
娘「ええ、ママ。ひざまついて、いつものようにお祈りしようとしたんだけれど、その時ね、神様はいつもと同じお祈りに飽き飽きしちゃってるじゃないかしらってひらめいたの。それでベットに入ってから、神様に『三匹の子豚』のお話しをしてあげたの」
実はこの話、お祈りの本質を伝えているかもしれません。お祈りの本質はやっぱり対話だとおもうのですが。
ヨハネ福音書では、イエス様とユダヤ人たちとの長い論争が書かれてあります。しかし、どうも噛み合いません。イエス様の言われていることを理解できない。むしろ、そのみ言葉を受け入れることができない、信じることができないことが問題です。神様を父としているならばイエス様の言うことが分かるはずだが、分からないのは悪魔の子だからだといわれるのです。その本性・本質が問題なのだと言われるのです。
朝日ネットニュースで、「『しちゃいけないこと』30人学級で教えます。兵庫県警」という記事がありました。内容は、若手警官の不祥事をなくそうと、警察学校1クラスの人数を40名から30名に減らし「倫理面できめ細やかな指導をし、『落ちこぼれ』が出るのを防ぎたい」というものです。20代の警察官が被害者宅の下着を盗んだり、わいせつ目的で同僚宅に忍び込んだりして摘発される事件が相次いで発生している。昨年12月には、高校時代の同級生と共謀し、知人を監禁してけがを負わせた容疑で20代の巡査が逮捕されたそうです。県警内部で防止策を検討し、警察学校教官が「学校のクラスの人数を減らし、目が行き届くようにしてほしい」と提案。警察庁が「おおむね40人」としているクラス編成を独自に30人程度に減らし、6~10カ月間の研修で行き届いた指導に努めることにしたということです。(ニュースから抜粋) ちょっと違うかなと思ったのは私だけでしょうか。事件が起こる問題は、教育にあるのではなく、その人の中にある本性・本質にあると思います。だからといって教育の必要はないとは思いませんが、何かちがうかなと。
私たちの罪はどこからくるのでしょうか。やっぱり本性からだと言えます。そこにみ言葉を信じる信仰を与えられ、罪赦されて生かされる恵みが、その人を変えていくのです。何を中心にして生きているかを今日は考えながら過ごしてみましょう。
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