夏休みを頂いて、中国教会研修に行ってまいりました。昨年に引き続き2回目となります。今回は中国の中心である北京と経済の中心である上海を旅してきました。いまや日本の東京よりも巨大な都市となった北京・上海に圧倒されました。
ただひとつ感じたのは急激な発展に対して「人の心」が追い付いてないのでは?ということです。人としてのモラルや衛生面などはどうだろうということでした。ここでは書くことはできませんが、「?」と思うことは多かったです。急激な発展をとげたばかりに、人としての「心」がどこかに忘れられているのかもしれないかなと。
中国教会ぼ事情も、一言では語れないむずかしさもあります。地上教会といわれるいわば政府宗教局公認の三自愛教会があり、黙認されている地下教会がある。反対に黙認されずにひたすら地下にある教会もある。それが同じビルの中に、黙認教会とそうでない教会がいくつも同居しているのです。またさらに隠れている家の教会、ミーティングポイントとよばれる集会がある。どの教会や集会も人で満員なのです。中国共産党という得体の知れない大きな存在の影があるのか。浙江省では12000の教会の十字架が破壊されていたり。しかし、そのような状況で、いや状況だからこそ教会に人が溢れているのかもしれません。
ただ私にわかったことは一つ。「教会は宣教活動を禁止されているから、人があふれているのだ」ということです。公に教会として宣教活動はできない。だから一人が一人をつれてくるしかないのです。自分だけの恵みではなく、友達に家族にこの恵みを伝えたい。だから教会に誘ってくるしか教会野成長は方法がないのです。
日本の教会が伸びて行かな理由の一つはもしかするとここにあるのかも。一人が一人を連れて来れば教会はすぐ2倍になる。なぜできないかは考えないできたかもです。