ルカ 7:9 言っておくが、イスラエルの中でさえ、わたしはこれほどの信仰をみたことがない。
テレビ情報番組で「ほめられサロン」の話がありました。ウェブページの「ほめられサロン」のところにいって、自分の名前と職業をいれると「00さん、素敵です」「00さん、声がすがすがしいです」「00さん、仕事できますね」などほめ言葉が画面にたくさんでてくるのです。それはもうたくさんのほめ言葉があります。形式だけとわかっていても、やっぱり嬉しくなります。子どものときは、たくさんほめられることもありました。大人になったら忠告されたり怒られたりすることはありますが、ほめられることも、ほめることも少なくなります。やっぱり、人はいくつになってもほめられることで、誰かに認められたいのでしょう。自分のやっていることをわかってもらいたいのでしょう。
聖書の中で、イエス様は百人隊長の言葉に感心しておられます。弟子たちなどは、マルコ福音書で怒られてばっかりですが、それも一つのイエス様の関わり方なのでしょう。イエス様は人のことを無視されるわけでなく、何らかの方法で認めておられるように思えます。ほめるというのは、イエス様の愛情の表し方のひとつと言えます。また周りの人々に何かを教えるためのものでもあります。どちらも認めておられるのです。
テレビで「食育」という話題の対談がありました。対談の中で、大笑いしながらゾッとする話がありました。最近、3歳児検診に子どもを連れてこない親が多いというのです。理由を聞くと、「持ってくるものに子どもと書いてなかった」というのです。なぜ「子ども」と書いてないか、それは常識だからです。しかし、それだけではないように思えます。3歳児検診とはいったい何のために行われるかがよくわかっていない?いや、それだけでもないような気がします。いま、本質というものを考えています。何が物事の本質なのか。私たちが大切にしなければならないホントのものとは一体何か。時代の波に流されながら、生きていく本質を忘れずに生きていくことは大変なことなのでしょうか。子供の存在を認める事とは何でしょうか。
神様は私たちのことをいつも見守っていてくれます。守ってくださいます。それは私たちの存在そのものを認めてくださっているからです。「ほめられサロン」で自分を確かめることより、この職場環境のなかでお互いを認め合っていけたらそれで充分なのでしょうね。あなたを認めておられる方は、ここにおられますから。
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