ルカ 4:6 悪魔は言った。「この国々の一切の権力と繁栄とを与えよう。それはわたしに任されていて、これと思う人に与えることができるからだ。だから、もしわたしを拝むなら、みんなあなたのものになる。」
「偉くなりたいは悪いことではない」という言葉を聴きました。確かに偉くなることはわるいことではないし、偉くなることを目指すのもいいです。しかし、何のために偉くなるのかです。すべてを自分の思い通りにできるから偉くなりたいでは、結局自分がつらくなると思います。偉くなったときには、偉くなったときにしかわからない責任が大きいことを知らないのです。イエス様は仕える偉さということを弟子たちに教えておられました。
本日の聖書は、「悪魔の誘惑」の箇所です。私たちには「人のパンだけで生きるものではない」というイエス様の言葉でも有名です。イエス様は40日40夜の断食の後、悪魔から誘惑を受けられます。しかし、そのすべてを神様のみ言葉によって退けられました。この箇所の誘惑には「あなたの神である主を拝み、ただ主に仕えよ」というみ言葉で退けておられます。主なる神様を第一とするということです。「この国々の一切の権力と繁栄」を自分のものにする。これはとても魅力的です。自分で何でもできるからです。しかし、所詮すべてのものは神様から与えられた神様のものです。自分のものになったというのは錯覚だと気が付かねばなりません。
宗教説話にこのようなものがあります。イエス様がある村へ入られると、口が耳まで避けた恐ろしい悪魔が住んでいました。イエス様は早速そこへ出掛けていき、悪魔と対面されました。悪魔は主に質問をします。そして、もし答えられない場合は、命をいただくと脅します。その質問とは、1つ「この世で最も価値のある富はなにか、なにを学び修めれば安心してくらせるのか」。2つ「なにによって人生の荒波を渡ればよいのか」。3つ「人が死を迎えるとき、どうしたら悲しまずにいられるか」です。イエス様の答えはこうです。1つ「御言葉を信じることこそ最も価値のある富である」。2つ「御言葉を信じる力によって人は人生の荒波を渡ることができる」。3つ「御言葉を信じ抜くときに悲しまずにいられる」と答えられます。この説話の面白いところは、イエス様が1つ1つの質問に答えられるたびに、悪魔の口が小さくなってきて普通の人間になり、最期にはイエス様に従うということです。悪魔の誘惑とはいったい何でしょうか。それはたったひとつ、御言葉を信じる力を消滅させることです。その人に与えられた御言葉を取り上げてしまうことなのです。私たちにとって御言葉を取り上げられることほど無力になることはありません。それは生きる目標を無くしてしまうからです。
御言葉を信じることは、私たちの命なのです。イエス様は「サタンよ引き下がれ、私の邪魔をするものだ」といわれました。イエス様の邪魔をする。それは私たちの救いを邪魔するものでもあります。
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