2コリ 5:17 キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです。
ある時の芸能ニュースで「『モーニング娘。』に、後藤真希という14歳の少女が新しく加入しました」と言うのがありました。どうでもいいことかもしれません。ただそれでは話しが続きませんので説明します。いわゆる若い7人の女性歌手グループに、新しくメンバーが加入し、それが14歳の少女だったのです。さて、本題はここからです。この新しくなった『モーニング娘。』が、いろんな番組に出演したときのこと、どの司会者も同じ質問をしたのです。「新しく加わって、いじめはありませんでしたか」と。どの番組でも同じ。本当はテレビを観ている私たちも含め多くの人たちが実は「いじめ」を期待していると思えたのです。本来「いじめ」はあってはならないのだけれど、「いじめ」があったほうが面白いなあと心の奥底で思っている自分がここにいることに気がついたのです。この不思議な心模様を誰かが操っている。ワイドショーなどの作り方もそうかなとゾッとしました。新しくなることに何を考えるのかを問われます。
パウロは「キリストと結ばれる」という言葉を使います。2コリの5章16節以下には「キリストを知って」「キリストによって」「キリストを通して」「キリストに代って」という言葉が並んでいます。これらの言葉を考えると、キリストと結ばれるということは、キリストと共にあることです。その上でキリストと共にあるということが、新しく創造された者であると言います。新しく創造された者とは、キリストの十字架と復活と共にあるという意味です。
ヘレン・ケラーの言葉に「苦しみの扉が一つ閉まると、またひとつ新しい扉がひらく」というのがあります。彼女の人生は苦しみの連続でした。いくつもの障がいをもち、困難にあい、苦しみの扉はいくつも閉められていったと話しています。しかし、苦しみの扉がしめられても、かならず新しい扉が開いていたというのです。神様は苦しみの扉を閉めたままにせず、必ず新しい扉を開いてくださると。ただ、人間は閉じられた苦しみの扉ばかりをみて、新しい扉が開いたことに気がつかないとヘレン・ケラーは言っています。
パウロは「キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者」と言います。私たちはキリストに結ばれて、毎日新しく生かされています。今日の命は今日与えられています。古いことに目を向けて学ぶことは大切ですが、そこに留まってはいけません。苦しみの扉ばかりを見ていると、新しい扉が開かれていることに気がつかないからです。
<音声礼拝説教は「神様の色鉛筆」でどうぞ!>