創世記 30:36 自分とヤコブとの間に歩いて三日かかるほどの距離をおいた。
「あの人とはちょっと距離をおいている」という表現があります。この距離の意味は何だろうと思います。しばらく会わないようにしよう。無視しよう。関係ないように振舞おう。たくさんの意味があります。また「ちょっと距離をおいてみたら」というアドバイスもあります。人間関係にはほどよい距離が必要かもしれません。しかし、この距離がうまく働けばいいですが、距離があるためにうまくいかないこともあります。
旧約聖書の物語に、ヤコブと舅ラバンの話があります。ヤコブは兄エソウの怒りから逃れる旅を強いられやっと親戚の家に出会います。その地でラケルと出会います。しかし、その父親ラバンの巧妙な策略によってヤコブは騙されたり、不当な労働をしいられたりするのです。ついには、ヤコブとの距離を3日ほど置いたと言う話です。この3日の距離を置かねばならなかったほど、この関係は冷たいものだったのでしょう。
はじめての漁船の運転、ジェットボートの運転をした時のことです。漁船の舵をとりながら、海の風の心地よさにすっかり満足してしまいました。しまし、船をまっすぐに走らせることは大変むずかしいことです。すぐによろよろとしてしまいます。その日の風にもよるし、潮の流れ、波の状態を見極めなければならないからです。また、島を回りながら走るときには、島との距離をつねにみながら走らせなければなりません。また、どこに海面下に岩があるかわからないのです。つねに自分の位置、まわりの状態、自然環境を知って置かねばならないのでしょう。私たちの人生の歩みも、自分がどこにいるのかを探しながらの旅かもしれません。それがはっきりしている人生は楽なのですが、そう簡単にはいきません。つねに迷ってばかりいます。神様と私の距離を知らないからです。
イエス様は、「神の国は、あなたがたのただ中にある」といわれました。これは中のことではなく、「間」という意味もあります。人と人との間にはイエス様がいてくださるのです。お互いがこのイエス様とつながって距離間を保つとき、平和がくるのではないかと思います。イエス様を間にはさんだ距離とはどれくらいでしょうか。しかし、その距離は間にあるイエス様を通るということで、「愛し合う」「赦し合う」「認め合う」というフィルターを通ることになります。
<音声礼拝説教は「神様の色鉛筆」でどうぞ!>