「ひらめき力」という言葉があります。「ひらめき力」についてある本を読みました。私にとって「ひらめき力」とは、上から突然降りてくるアイデアを受け止める信仰、キャッチするセンスだと思います。宣教にはこの「ひらめき」が大切だと思います。
アインシュタインという天才の言葉に「私は地球を救うために1時間の時間を与えられたとしたら、59分を問題の定義に使い、1分を解決策の策定に使うだろう」があります。59分をかける問題の定義とは「問題の構造を解明すること」です。この場合、地球が直面している危機とは何で、そこから救われた状態とはどのような状態なのかを解明すること。そこに時間をかけると言うのです。その本には「ほとんどの人は、60分の時間を、本質的でない問題の解決策を考えることに使う」とありました。きっと私たちは解決策をいくつも書き出してその答えを得ようとする。しかし解決策をだすだけで60分使うのです。それはなぜか。人は答えがないと不安を生じる生き物だからとありました。なんとなく納得しました。答えがでたら満足して何もしないのです。
教会も宣教会議を毎年続けています。これも同じかもしれません。何回も協議して解決策ばかりに時間を費やし実行せず、みんなが納得する答えを求めるだけ。なぜ何回も同じことを話し合うのか。それは答えがないと不安だからでしょう。神様の宣教に関していえば、私たちが納得できる答えなどはないと思います。神様の宣教は、人間の考えをはるか超えることだからです。だから神様からあたえられる「ひらめき」が大切なのです。
教会が楽しく、喜びに満ち、ワクワクする状態とは何かを考える時「ひらめき」は与えられます。アインシュタインがいう最後の1分の答えは自分たちの中ではなく外にあるのです。教会にも外からの視点が必要です。自分たちの視点だけではなく。