出エジプト 20:16 隣人に関して偽証してはならない。
たいてい「ウソ」の始まりは小さなことです。これが積み重なっていくと、取り返しのないことになります。また、この「ウソ」に合わせて生きていくということにもなりかねません。ある本の中に「ウソはウソ。ウソは自分をだます」とありました。確かにウソを重ねていくと、取り返しのつかないことになります。ウソの中にドップリつかって抜け出すことができなくなります。また「ウソは癖になる」と書かれてありました。この言葉はよくわかりました。本当にウソは癖になるのです。よくオオカミ少年のたとえを聞きますが、ウソが癖になったとき、誰も信じてくれないようになるのです。
旧約聖書には、神様がモーセを通して民衆に与えた律法が記されています。その元が「十戒」といわれるものです。人間が生きていく中で最も大切な戒めが10個にまとめられています。その中に「偽証してはならない」があります。簡単にいえば「ウソ」をつくなということでしょう。偽証することは信頼を失くします。共同体にとって偽証があると、その共同体全体が壊れてしまう危険性をもっています。ですからどんな小さな嘘も許されないのです。
天声人語に、高校生が創作した格言が紹介してありました。その中で、「うそ」をめぐる傑作が書かれてありました。「うそでうそは隠せない」「うそをついている時ほど言葉が多い」「うそをつきすぎると自分もだませる」。これらの格言をひとつひとつ吟味してみると、今の世の中への痛烈な批判のように感じました。偉そうなことは言えませんが、某テレビ局の謝罪会見のニュースを見ながら、「うそ」で「うそ」を隠そうとする態度に、真実を伝えるメディアの根本が崩れ去ったような思いをいだきました。
私たちは「うそ」をつかないで生きていくことの難しさをしっています。しかし、なるべくなら自分に「うそ」をつかないように努力しながら生きていきたいと思います。なにか苦しいことにぶつかると、つい自分に対して「うそ」をついてしまうものです。そして、真実からいかに遠ざかるかを考えるのです。本当はどうにもならないのに、逃げることによって自分が助かると思い込んでしまいます。その生き方そのものが「うそ」であるといえます。イエスの十字架を見上げるとき、「うそ」がないことに気かつきます。
毎日の生活の中で、モーセの十戒を心に留めて過ごしたいと思います。今日のみ言葉は「隣人に関して偽証してはならない」です。小さなウソから始まることを避けて、たえず自分を省みる今日でありたいものです。一番危険なのは「自分にウソをつくこと。それが癖になっていること」かな?と思います。自分にウソをつかないように、主のみ言葉をつねに心の中に置きたいものです。