フィリピ 4:6 どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神様に打ち明けなさい。
私たちは幸せだなと思います。何事でも神様に打ち明けることができるからです。心の底にある悩み、苦しみ、喜び、楽しみ、何でも打ち明けることができます。しかし反面では、もうちょっとだなと思います。神様に打ち明けることが下手なのです。自分のことで思い煩ってばかりいます。
パウロはフィリピの信徒への手紙の終わりに「薦めの言葉」をのべています。「主において常に喜びなさい。重ねて言います。喜びなさい」という有名な言葉もここにあります。その喜びなさいのあとに、「思い煩うのをやめなさい」というのです。一切を神様に委ねることを命じる言葉です。動物たちが集まって、人間はいつも自分たちから何かを持っていってしまう、と不平を言い始めました。「人間はわたしのミルクをとるわ」と牛がいいました。「人間はわたしの卵をとるわ」とめんどりがいいました。「やつらはベーコンをつくるためにぼくの肉をとる」と豚がいいました。「やつらは油をとるためにぼくを捕獲する」と、鯨がいいました。その他、その他・・・・。最後にかたつむりが話しました。 「ぼくは人間たちが他のどんなものより持ちたがっているものを持っているよ。もしもできればさっさと持っていきたいがるものさ。それは時間だよ。」
私たちは持とうと思えば世界中の時間をもてるのだとおもいますが、それができません。ところが急に時間が与えられてもそれを使いこなせないでいます。神様が与えてくださる時間は、自分のためだけに使うときそれはむなしいものになりがちです。たとえわずかな時間であっても、隣人のためにつかうときその時間は何倍もの祝福に満ちた時間となるのを知っています。私たちは「時間がほしい、時間がほしい」といいます。それは自分のためにのみ使う時間でしょうか。それと隣人に仕えるための時間でしょうか。それとも神様との対話のために使う時間でしょうか。どんな時間を必要とするかでかなり違った人生になるのですが。
思い煩わないためには、どうすればよいでしょうか。それは神様を信じ、愛されていることを受け取るしかありません。すぐ近くにおられる神様を、とことん信じて対話することです。「ねえ聞いて、聞いて」と信頼しつつ、いつも語りかけることしかありません。打ち明けることが下手なのは、神様との対話不足というわけです。
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