ルカ 12:22 イエスは弟子たちに言われた。「だから、言っておく。命のことで何を食べようか、体のことで何を着ようかと思い悩むな」。
「思い悩んだって、何もかわらない」とは、被災地のおばあちゃんの言葉です。家も財産も全てなくしたおばあちゃんですが、そのことを思い悩んでもしかたがない。悩むくらいなら新しいことを始めなきゃと言っておられました。そのとき私たちの支援方法も変えなきゃいけないと思ったのです。それまでは共に思い悩むことが支援だと考えていました。しかし本当の支援は、寄り添いながら新しい一歩を踏み出せるために背中をそっと押してあげることではないかと。思い悩むことに入り込むと、この一歩が出ないのです。思い悩みから抜け出す一歩を寄り添いつつ支えるのが支援なのです。イエス様の生き方も同じです。
イエス様は「愚かな金持ちのたとえ」で、貪欲に対する注意を教えられました。その後、このみ言葉を弟子たちに話されました。烏は何も働かず倉などもたないが、神様は養ってくださる。「思い悩むことはない」。これは、神様が私たちを養っておられる。これに気づき、神様に感謝し、「神様を求めなさい」ということです。まず神様を求めることで、思い悩むことはなくなると言われるのです。
イスラエルへいったおり、ガイドの方から「一度、本当の荒野へいきませんか」と誘われました。イスラエルには3種類の荒野があるそうです。1、人間も動物も生きていける荒野。2、動物ならかろうじて生きていける荒野。3、生きていくことを拒絶している、どんな生命でも生きていけない荒野。この3番目の荒野を本当の荒野というそうです。その本当の荒野へ行こうというわけです。さて、その本当の荒野には何があるか、静寂と闇しかないそうです。一晩そこにいると、恐怖と畏れしかなく、人間は涙を流すといいます。音もない光もない、生きているものは自分だけという世界。そこでは神様を求めざるをえないと教えてくれました。聖書は荒野の中の宗教だといいます。神様を求めるほかには何もない世界の中で書かれたといいます。静寂と闇こそが人間を神様へと向かわせるのかもしれません。
イエス様は「ただ、神の国を求めなさい。そうすれば、これらのものは加えて与えられる」と教えられました。思い悩まない方法は、神様を求めることです。自分のことばかり考えているとそこから抜け出せないものです。しかし神様を求めるとき、すべては与えられていることに気がつきます。イエス様は「ただ、神の国を求めなさい。そうすれば、これらのものは加えて与えられる」と教えられました。
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