マタイ 5:39 わたしは言っておく。悪人に手向かってはならない。だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい。
ブッダの教えに「先に傷つくのは自分」というものがあります。たとえ相手が悪人であっても、怒ったり攻撃したりすれば、自分もよけいな罪を犯して不幸になると。悪をなすのは相手であって、それに対して怒ると、自分もその怒りに汚染されるというのです。たとえば、怒りによって相手に汚物や炭火を投げようとすれば、先に汚れ、火傷をするのは相手ではなく自分である。相手が身をかわせば自分の手だけが汚れるというのです。
イエス様の教えで、最も知られたものの一つです。これは律法の中にある「目には目を、歯には歯を」という「同害報復」をとおして、加害者も被害者も同じ痛みを受けることを定めたものです。これに対しイエス様は、一切の復讐を放棄しなさいといわれました。それは悪への屈服でも単なる無抵抗でもありません。それができるためには、よほどの勇気が必要であり、弱い態度ではありません。イエス様の十字架も敗北(死)をもって勝利(復活)へと導かれたものでした。
私たちの人生「私は幸せ者」と最後に言えるということは、本当に感動的なことです。ある姉妹の人生最後の言葉は、天に召される2日前は「いろいろと感謝です」、1日前には「いろいろとありがとう」。そして臨終の床では家族の一人一人の名前をあげて感謝され、とくに障碍を持つお孫さんの優しさ、思いやりに深く感謝されたそうです。いよいよ苦しくなったときは、娘さんにしか聞き取れないくらいの言葉で「ありがとう」と言われたそうです。この言葉は娘さんだけにしか聞き取れないものでした。前夜式のときパウロが聞いた主のことばを引用させていただきました。「わたしの恵はあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」。この御言葉に感謝という応答をされたのがこの姉妹でした。
イエス様は「わたしは言っておく。悪人に手向かってはならない。だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい」と言われました。律法を再解釈されたように思えますが、実は律法の本来の意味を教えてくださいます。神様の御心がどのようなものであるか。「目には目を、歯には歯を」という律法も、否定という形において本来あるべき姿を示されたものです。
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