ヨハネ 13:7 わたしのしていることは、今あなたにわかるまいが、後で、分かるようになる。
救援活動講演を各地から招かれて行っています。津波被害(初期の頃から現在の様子)、ルーテル支援の様々なプロジェクトの説明、今後の関わりなどを話します。被災者の方々との出会い、そこできいた言葉や思いも話します。みんな熱心に来て下さり多くの質問をうけます。その一つに「メッセージカード」についてあります。「がんばって下さい。祈っています。御言葉をそのまま書かないという指導をうけ、大変こまりました。何を書けばいいのですか」と。その質問にはまず「被災地の人たちはこれまでがんばってこられた。これ以上がんばれないというところまでがんばっています。いまいまがんばるのはわたしたちボランティアです」と。「また、自分が支えられた神様の御言葉をわかりやすく自分の言葉でかいてくださればいいのです」とも答えます。難しいのはわかっています。しかし、自分の言葉で伝えることに大きな意味があるのです。
イエス様が活動された時代には、足を洗うことは奴隷の仕事でした。そこでペトロは、イエス様が弟子たちの足を洗うことをやめさせようとします。しかし、イエス様の洗足ぬきには十字架は語れません。それは贖罪を意味するからです。ところがそのことが分かったのは後のことでした。いましていることは何か、祈りつつおこなっていけば、かならず後で神様は教えてくださるものです。
イエス様は「後で、分かるようになる」と教えてくださいました。いま被災地でなぜ御言葉をそのまま書いてはいけないか、それは後でわかることかなと思います。被災者の方にとって神様の御言葉が御言葉として伝えられるためには、自分の言葉にすることだと思います。その御言葉があなたの言葉として伝えられるとき、大きな慰めを運ぶものになると信じています。
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