ヨハネ 11:9 昼間は十二時間あるではないか。昼のうちに歩けば、つまずくことはない。この世の光を見ているからだ。
東日本大震災の時支援活動から事務局に戻った時のことです。朝5時に起床して活動を始めることは同じでも、被災地救援活動の働きとは内容がまったく違っていました。一番の違いは、時間の使い方です。被災地では時間があってないような状況(いつ何がおこるかわからない)でしたので、自分の時間管理ができませんでした。事務局に戻り、再び1週間の時間管理を始めました。自分で作成したエクセル表で管理をしました。目的は空いた時間を捜すこと、造り出すことです。空いた時間こそが自分の時間であり、そこに何をいれるかが大切です。造り出された空き時間こそ、自分を豊かにする時間だと思っています。
エルサレムの近くベタニアの村にマルタ、マリアそしてラザロが住んでいました。イエス様が愛された家族です。そのラザロが病気になり死んでしまいます。イエス様はラザロが死んだあとに彼らの家を訪問されました。イエス様は、ラザロが死にかけているのを知っていながら、その死を待っていたかのような行動をとっておられます。その後、イエス様はラザロを復活させます。ラザロの奇跡を通して御自分の「復活と命」について教えるためでした。その中で「時間」についても語られています。
いまの大江教会の宣教方法とはいったい何か?と考えてみました。一言でいうと「どれだけ教会の門を広げられるか」「どれだけ教会を開けるか」だと思います。教会に関わるチャンスをどれだけ大きくできるかだと思うのです。そのために様なプログラムを考え、イベントをやり、礼拝堂を一般に開放し、礼拝の数を増やし、祈りの時間のために24時間礼拝堂を開放してきたのです。もっともっと開放できないかと考えています。ご批判も多々あることでしょう。教会が開かれれば開かれるほど、交わりが薄れていくように感じますし、自分では把握できないことも多くなってきます。しかし、その点は信徒のみなさんの相互の交わりによって解決できると思います。この様な中から、洗礼者が与えられました。この人々を導くために、導かれた方の祈りの時間があり、交わりが何時間あったか、はかりしれません。神様から与えられた一人の人のために必死で祈って、つきあってきた時間があるのです。私たちの交わりの中で共に生きていくことを大切にしていきたいと思います。
イエス様は「昼間は十二時間あるではないか」といわれました。それをどのように用いて行くか。また夜も十二時間あります。この時間が与えられている私たちは賢くその時間を用いることを求められています。時間の使い方、休むこともその用い方の一つです。自分の成長のために時間管理ができればと願っています。
<音声礼拝説教は「神様の色鉛筆」でどうぞ!>