ルカ 1:76 主に先立って行き、その道を整え、主の民に罪の赦しによる救いを知らせるからである。
テレビの取材をうけました。テーマは「なぜ男性は結婚指輪をはずしてしまうのか」というものでした。そこで「結婚指輪とは本来何か、どうして左手の薬指か?」という取材でした。あらためて聞かれるとはっきりと知っているわけでないので、困ってしまいました。通説では心臓に一番近い指だからとありますが、何の根拠もないのです。指輪を与えるということはすでに旧約聖書・創世記41章42節にでてきます。エジプトの王ファラオがヨセフに指輪を渡しています。これは「あなたが私の財産のすべてを管理しなさい」ということでした。それがローマ帝国のころは自分の奴隷たちに指輪をさせ、自分の財産のしるし、自分に仕えるしるしとなったのです。お互いにはめるのは、互いに仕えあうというところからきてるのでしょうか。それが発展して結婚指輪・契約のしるしとなったとのことです。
ルカによる福音書の1章には預言と呼ばれるものが記されています。本日の箇所は「ザカリアの預言」とよばれるものです。ザカリアとはバプテスマのヨハネのお父さんにあたります。この預言の前半はイスラエルのエジプトからの解放と、その後のメシアによる民の救いという内容です。後半はこれに加え、バプテスマのヨハネの姿を指示しています。このヨハネこそ「指」です。
バプテスマのヨハネといっても、あまり馴染みはありません。悔い改めの季節にあらわれる人と言えば、このヨハネ以外はありませんが。クリスマス前のアドベントの季節、そして受難の季節。この季節に共通することは「悔い改め」です。さて、バプテスマのヨハネの役割は何でしょうか。私にとっては『指』のような存在です。バプテスマのヨハネはつねに指差しているのです。その指を追ってみるとそこにはイエス様がおられるのです。バプテスマのヨハネがのべ伝える悔い改めをとおしてイエス様をみることが大切だといえます。
バプテスマのヨハネの悔い改めは、私達に罪の赦しによる救いを教えます。そのこと自体がイエスの十字架のできごとです。バプテスマのヨハネによって示された悔い改めをもう一度心に留めてみたいものです。
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