ルカ 4:20 会堂にいるすべての人の目がイエスに注がれていた。
秋に宣教会議が行われています。ある時の会議の中で、現代の教会は若い人たちにとって魅力のある場ではないという意見が出されました。若手牧師が、教会に新しくきた青年にきいたところ、いまの自分が興味ある順番を教えてくれたそうです。1、バイト・学校。2、友達と遊ぶ。3、時間がありヒマなら教会。中高生ならば1、部活・クラブとなるそうです。なるほどだと思います。あと加えて牧師の子どもたちが礼拝に出席しないということも言われました。なぜ牧師の子どもが礼拝にでないのか。教会に興味がないからでしょうか。
イエス様は、ユダヤ教のきまりに従って安息日には会堂で礼拝をされています。当時の礼拝は「シェマー(聞け、イスラエル)」で始まり、祈り、聖書朗読と続きました。その聖書朗読の時にイエス様に巻物がわたり、イザヤ書を朗読されたのです。その内容が「主の恵みの年を告げる」というもので、この解釈について人々の目がイエス様に注がれたのです。何を語られるかに興味津津だったと言えます。
秋葉原で不思議なカフェをみつけました。「スモーキングカフェ」です。ビル一画のガラス張りの部屋があります。そこの中は煙がモウモウ!よく見るとタバコの自動販売機が、たくさん並んでいます。そうです、ここは気兼ねなく自由にタバコを吸ってもいい空間です。最近は千代田区など、歩きながらの喫煙が規制され、罰金をとられます。はじめのうちは吸っている人もみかけました。最近では隣に位置する新宿区で歩きながら吸っている人々も、千代田区にはいるなりタバコをしまう姿がみられます。タバコを自由に吸える空間が無くなってきたのです。そこで登場したのが「スモーキングカフェ」なのでしょう。私自身タバコを吸わないのでわかりませんが、何かタバコがもっている魅力があるのでしょうか。やめられない魅力とは何でしょうか。「は~この一服が安らぐ」という言葉をききます。多くの人は緊張して生きているってことかもしれません。その緊張をほぐす役割があるのでしょうか。「安らぎ」。これはどこからくるのでしょうか。もちろん神様からですといいたいのですが、安らぎはそこにあるのに、受け取ることができない問題もあるなあ~と考えて秋葉原の雑踏を歩いてきました。
イエス様が聖書を朗読されたあと「会堂にいるすべての人の目がイエスに注がれていた」と、ルカ福音書は記しています。イエス様が次に何を言われるか、みな固唾をのんで見守っていたのです。そこから聞こえてきたのは救いの言葉でした。み言葉や教会に魅力がないわけではありません。魅力がないようにしている私たちの問題だと思います。生き生きとした福音をいただいているかどうか、自分自身を点検してみなければなりません。
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