先週バチカンで、マザー・テレサ列聖式がおこなわれました。この礼拝でマザー・テレサが聖人となられました。これまで聖人って何だろうと考えたことはありませんでした。しかも聖人といえば絵画の世界でしかみたことがありませんでした。マザー・テレサが日本にこられたとき、遠くからちょっと見かけたのですがその方が聖人になられたと言う事なのです。とっても不思議な感じです。しかし、実際マザー・テレサとの出会いがあった方々には、当然のこととして受け取っておられるのかなと思います。
マザー・テレサとの出会いで神父の道を歩まれた方がおられます。神父は毎日ネットを通してメッセージを発信しておられます。列聖式に向かわれる直前の発信は次のようなものでした。「自分は賢いと思い込んだ人は、周りの人を愚か者と思って見下すようになります。自分の思った通りに動かない人たちに腹を立て、悪口を言っているうちに、だんだん孤立してゆきます。自分は賢いと思い込むことほど、愚かなことはありません。今晩も、皆さんの上に神様の祝福がありますように」。この言葉にちょっと立ち止まってしまいました。自分はそのようになっていないかと振り返ってみたのです。この様な素直なメッセージには心が動かされるものです。
「自分を賢い」と思い込むとは一体どんなときでしょうか。本当に賢い者は自分を賢いとは言わないと聞いたことがあります。周りから賢いと思われるのと、自分が賢いと思い込むのは違います。ここを間違わないことなのでしょう。だんだん孤立していってもそれに気がつかずにいる。一人になっていてもまだそれを認められない。それでまた孤立していくという悪循環に落ちてしまうのかもしれません。マザー・テレサの姿に接しながら神父は本当の賢さを知ったのかもしれません。
列聖式を見ながらそんなことを考えておりました。