マタイ 5:39 わたしは言っておく。悪人に手向かってはならない。だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい。
ブッダの教えに「先に傷つくのは自分」というものがあります。たとえ相手が悪人であっても、怒ったり攻撃したりすれば、自分もよけいな罪を犯して不幸になると。悪をなすのは相手であって、それに対して怒ると、自分もその怒りに汚染されるというのです。たとえば、怒りによって相手に汚物や炭火を投げようとすれば、先に汚れ、火傷をするのは相手ではなく自分である。相手が身をかわせば自分の手だけが汚れるというのです。
イエス様の教えで、最も知られたものの一つです。これは律法の中にある「目には目を、歯には歯を」という「同害報復」をとおして、加害者も被害者も同じ痛みを受けることを定めたものです。これに対しイエス様は、一切の復讐を放棄しなさいといわれました。それは悪への屈服でも単なる無抵抗でもありません。それができるためには、よほどの勇気が必要であり、弱い態度ではありません。イエス様の十字架も敗北(死)をもって勝利(復活)へと導かれたものでした。
ヒンズ-教の聖典に、バ-ガヴァタ・プラ-ナというものがあります。そのなかに次のような話があります。あるとき、一羽のカラスが、くちばしに一片の肉をくわえて空を飛びました。二十羽のカラスがそれを追いかけて、意地悪く攻撃しました。するとついにカラスは肉片を落しました。追いかけていたカラスは、彼一羽を残し声をあげながら肉片を追って飛び去りました。一羽だけ残ったカラスは、「ここは平和になった。空全体がぼくのものだ」といいました。本当に大切なものは何かを見分けるのは、とても難しいものです。捨てることによって与えられることがあります。
イエス様は「わたしは言っておく。悪人に手向かってはならない。だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい」と言われました。律法を再解釈されたように思えますが、実は律法の本来の意味を教えてくださいます。神様の御心がどのようなものであるか。「目には目を、歯には歯を」という律法も、否定という形において本来あるべき姿を示されたものです。
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