1コリ 14:33 神は無秩序の神ではなく、平和の神だからです。
「聖書を読むことを習慣とする」。これはいつも考えてきたことですが、大抵は三日坊主に終わっていました。習慣にするには意識を持つことが大切だと思います。だらだらと読めば習慣になるかと言えばなりません。時間をきめ、計画的にやってはじめて習慣となります。良いことも、悪いことも習慣となった時には、そのこと自体が影響力をもってくると思います。
パウロはコリントの教会信徒に「集会の秩序」について語っています。集会のなかで、預言、異言、教え、啓示、それにともなう解釈などが秩序なく行われていたようです。そうならないように教会の「秩序」を教えています。それはすべて教会を建てるためにものであると理解するようにというのです。神様は無秩序の神ではないという言葉が印象的です。
これだけは毎日やっていることは何かと考えてみました。それが習慣だと思いますが、数えてみるとたくさんあります。意識的に繰り返しているものがあります。そいて、ついてしまったものもあります。よい習慣は意識的につけたもの、悪い習慣はついてしまったものです。「習慣は紙の折り目のようなもの。一度ついたら中々とれない」という言葉を教えていただきました。この「紙の折り目」という表現は素晴らしいです。よく言い当てていると思います。両端をきちんと揃えて、意識的に折ったものの折り目は美しいです。折り紙などの美しさもそこにあるように思います。しかしいい加減に折ったもの、また仕方なく折られたものの折り目からは美しいという感じは受けません。問題は、一度ついてしまった折り目を元に戻すことは困難だということです。むしろ無理に近いことです。強制的にアイロンでもかけないといけません。そう思うと、意識的につけた習慣は人から見て美しいものがたくさんあります。たとえば挨拶、礼儀など。しかし、そうでないものは、いがいと見たくないものが多いようです。
パウロは「神は無秩序の神ではなく」といいます。世の中には多くの法則があります。しかし、すべては神様の導きの中にある法則です。しかもその法則は神様の御心を伝えるための法則だと思います、何を持って成功とするか。そのミッション系の高校は、神様と共に働く者となることが成功と考えているではないかと思います。
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