ルカ 1:3 敬愛するテオフィロさま、わたしもすべての事を初めから詳しく調べていますので、順序正しく書いてあなたに献呈するのがよいと思いました。
人に何かを教えるということは大変なことです。ある本に「人から50習いたければ、相手に50与えねばならない」という言葉を見つけました。一方的に教えるのではなく、相手からも教えて頂こうという姿勢がなければ講演は成功しないと考えています。しかし何を学べばいいのでしょうか。講演の依頼を受けるときは「喜んで」と受けます。期日が迫ってくると「なんで引き受けた」と悔やみ、最後の一週間は「逃げ出してしまいたい」となります。そして前日の真夜中になって「あきらめる」のです。「神様にお任せしよう」これがでてくれば大丈夫です。すべては神様の計らいの中で全力を尽くすしかないのです。そう思いながら、「何を話すか」が頭からはなれません。こどもに聖書の話を伝えることと、教えることは違うことだ、ということだけはわかりました。たいていの先生方は聖書を教えようとされています。しかし、御言葉は教えるものではなく伝えるものです。共有するものです。
ルカによる福音書は、テオフィロへ献呈されています。この人物の詳しいことはわかりませんが、教会に関わりをもつ有力者だったのでしょう。マルコによる福音書を手本にしたルカは、イエス様の出来事を最初から調べて順序正しく書くほうが読む人にとって分かりやすく、伝わりやすいと考えていました。一つの物語として読むほうが伝わりやすいという判断かもしれません。しかし、そこには「教える」ではなく「伝える」ということが根本にあるのです。
「あなたの話はなぜ『通じない』のか」という本を読んでいます。その中に「相手が一番知りたい情報は何か」を考えているかと問われていました。例えば、銀行や切符売り場なので「この窓口は只今使えません」とふさがっていることがあります。これでは「じゃあどうすればいいの」と思います。この時「この窓口は只今使えません。申し訳ありませんが2番、3番窓口をお使いください」と書いてあれば親切だというのです。しかし、よく読むと前半はいらないのです。「どうぞ、2番、3番窓口をお使いください」と書いてあるほうが、これを見た人はすぐに次の行動に移れます。これが相手を考えて、一番知りたい情報を伝えることだと書いてありました。相手は何を知りたいのか、自分は何を一番伝えたいのか。言葉を発する前に考えてみることが必要です。結論から言ってあげることも、じつは一番の伝え方なのです。
ルカは、イエス様のことを伝えるのに、「順序正しく書いて」と言っています。テオフィロのもとにはイエス様に関するたくさんの情報が集まっていたのでしょう。それを順序正しく書くことが、イエス様の出来事が一番伝わりやすいことを知っていたのです。また一番知りたいことも伝わると。ルカによる福音書は「旅するイエス」と言われるように、時間空間場所がしっかり順序正しく書いてあります。また新約聖書を読まれてない方はルカから読むことお勧めします。
<音声礼拝説教は「神様の色鉛筆」でどうぞ!>