講演行脚の1週間がおわりました。横浜と熊本で用いて頂きました。横浜のミッションスクールである捜真女子校に招かれました。宣教母体がバプテスト同盟の学校で、朝の礼拝を中心に、高校生による祈祷会が持たれていることに驚きました。2人の女子高生が証しをしてくださいました。自分の体験談をとおしての証にびっくりでした。ここまで自分を解放できるのだと。
このところ全国の学校に招かれます。公立学校もあります。どの学校もその学校のスクールカラーを感じます。その中でもミッション系と言われる学校には、何かわかりませんが、安心感があります。自分が牧師だからでしょうか、神様という言葉を出してもいいと言うこともあります。イエス様がという言葉からはじめられます。これが公立であれば、自分の方が考えてしまうものです。そんなこと考えずにとも思いますが、やっぱり気を使います。
熊本大学での講演は安心して語ることができました。主催下さった先生がルーテル教会の会員でしたし、そのような授業を求められたからです。これまでもキリスト者でない多くの方々の前で話をさせていただきました。言葉を慎重に選びながら、キリストのみ言葉を伝える。これは自分の学びになります。しかし、伝わるものです。大切なことは自分はキリストの御言葉に支えられて語っているという確信だと思います。み言葉にさせられて語ると言う意気込みです。ここにエネルギーが生れてきます。
講演の前には必ず祈ります。「神様どうか今日も私を道具として用いてください。そしてあなたが私を通してみ言葉を語って下さい」と。この祈りを忘れた講演は悲惨なものになります。どんな講演でも牧師が話す時にみ言葉の支えが必要です。だとすると普段の言葉もおなじかなと思います。言葉には神様の命があるのですから。