フィリピ 1:9・10 知る力と見抜く力とを身に着けて、あなたがたの愛がますます豊かになり、本当に重要なことを見分けられるように。
あるとき空港でお土産をかいました。とても美味しいおせんべいがぎっしり詰まっていました。こんなにたくさん入って、この値段は安いと買って帰りました。家に帰り置けてビックリ。おせんべいは見えているところだけにあり、あとは底上げの箱のみでした。一瞬「だまされた」と思いましたが、よく考えると値段をみればわかることでした。なんだかお店と私たちの知恵比べ?騙し合いの中で楽しんでいるのかもしれません。しかし「知る力」「見抜く力」を持つことは難しいことだと思います。
「フィリピの信徒への手紙」はパウロによって書かれました。この手紙は「喜びの手紙」と言われます。手紙の中で何度も「喜んでいなさい」と繰り返されているからです。本日の聖句は手紙の始めに書かれていることで、とりなしの祈りというテーマのもと「知る力と見抜く力」に言及しています。フィリピの人たちが正しい教えを知ること、それに従っての行いが欠けていたためと思われます。神様によって与えられる「知る力」「見抜く力」によって愛が豊かになるとパウロは教えます。
あるラジオのパーソナリティの実験が「毎月1日はYESの日」だそうです。「YESの日」とは、その1日はすべてに対して「YES」という日だと決めているのです。頼まれごと、お願い事、仕事にたいしても。すべてを「YES」と肯定する。そんな日を1日過ごしてみると自分が少しわかってくると言っていました。たいてい7割しかできないそうですが、そうすることによって自分が何に対して抵抗しているかがわかると言うのです。逆にすべてが「NO」の日にしてみたら、とてもいごこちが悪いようです。「YES」の日、「NO」の日。ちょっと興味をもってやってみたのですが、結構難しいものでした。私たちは曖昧な決定ということをします。それはとてもよいこともあります。和を保っていくことも大切なことだからです。しかし、その中で「YES」と「NO」をはっきりさせておくことも大切です。この両方をよく知っていることが賢い生き方なのです。
パウロは「知る力と見抜く力とを身に着けて、あなたがたの愛がますます豊かになり、本当に重要なことを見分けられるように」と祈りました。本当に重要なことは何であるか。神様から与えられたこの働きにとって重要なことは何かを考えることです。そのことを中心に自分の働きを見分ける必要があります。今日も神様が必要とされてここに集められました。神様の御心にそって今日の働きをなしていきましょう。
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