ガラテヤ 2:11 非難すべきところがあったので、わたしは面と向かって反対しました。
人と人とのコミュニケーションの取り方が変わってきた、とよく言われます。しかし、いつの時代でも新しい方法は生まれてくるのだと思います。その時には、昔の方がよかったと誰しも言うのかもしれません。ただ、人と人が本当に触れ合ったコミュニケーションをしているかといえば、道具や機械、パソコンを通してのみのコミュニケーションには心配があります。やっぱり、面と向かって、話し合ってのコミュニケーションが好きです。心が通い合うとも思います。この心が通い合わないコミュニケーションがいまの問題だと言えます。
パウロはペトロの行為を激しく非難しています。ペトロがヤコブ(主の兄弟)のもとから人が来るまでは、異邦人と食事を共にしていたのに、それ以後それをしなくなったからでした。パウロはこの行為を「信仰義認」という内容から「福音」と言う点でとらえなおしています。パウロにとっては納得できないものがあるのです。相手が、イエス様の一番弟子のペトロであっても「面とむかって反対」しています。これも同じ信仰をもち、信頼を土台にしているからできる行為だといえます。
「今週もお会いできて嬉しいです。でもお仕事も大変ですね」と、飛行機内で声をかけられました。キャビンアテンダントのチーフさんでした。声をかけられるということは、ちょっとした嬉しさと安心感をいただけます。この話をすると、「むこうは商売だから」と言われます。それであっても多くの中から、自分の存在を認めていただき、声をかけられる。「自分の存在を認めていただけている安心感」を感じるのです。イエス様も声をかけることの大切さを教えられました。ヨハネによる福音書には、羊飼いと羊のたとえで、良い羊飼いは名前を呼んで連れ出すと言われます。声をかけることが先にあるのです。一番信頼がもてるのが、名前を呼ぶということであり、羊はその声に信頼してついていくといわれます。
パウロはペトロに対して「面と向かって」反対をしています。顔と顔を合わせて、会話をしているのです。ここに2人の信頼関係が見えます。はっきり言うことができる関係だったのです。本人のいないところで批判することが多い私たちは、その関係に「信頼」というもがあるかどうかを問われているようです。
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