小さな頃の思い出が、その人の人生の根っこにあることがあります。人からするとなんでもないことですが、自分にとってはなくてはならない宝物でもあります。そのような思い出をたくさん持っている人は幸せだと思います。
広島で知り合ったカメラマンの方が結婚式でのエピソードを教えてくださいました。披露宴での最後の挨拶の時でした。新婦さんが両親への感謝の手紙を読まれたそうです。しかし、お父様はすでに他界しておられたそうです。お父さんとの思い出で手紙で読み上げられました。「私が小学生のマラソン大会の時に当時まだ珍しかったビデオカメラを買って撮ってくれた、写っていたのは父さんの頑張れ〜って声とアスファルトの映像だけだったけど、凄く嬉しかった。」と。つい「うるっ」ときてしまいました。お父さんとの思い出の中にこんな素晴らしいものがあることは幸せだなと思います。この文章からもお父さんがいかに娘さんを大切にしておられたかもわかります。肝心な画像はなくても、そこにある愛を感じるエピソードでした。
先週の齊藤七子姉の記念の祈りをいたしました。そのときとても古い写真を見せて頂きました。マーサ・ミラー先生が移っている写真でした。九州学院教職員家族・大江教会の女性会の写真だと思います。ひな祭りの集いでしょうか。人形を抱いておられました。多くの方々は天に召されていかれました。もしこの方々がいま大江教会にこられたとしたどんな言葉を残されるかなと思いました。マーサ姉は自分の名前を付けたパイプオルガンをみて何と言われるだろうか。ミラー先生、シリンガー先生はどうだろう。「よくここまで成長したね」と言ってくださるか。「まだまだ。もっと地域に宣教しなさい」と言われるだろうか。この教会を私たちに託された先生方にいまこの教会を喜んでおみせできるだろうか。
さらに新しい教会になって「先生、こんな楽しい教会になりました」と言えれば。