マルコ 1:11 あなたは私の愛する子、わたしの心に適う者
進学か就職かについて悩んでいる学生からの相談を受けました。自分の思いや、やりたいことを親がわかってくれない。そんな親は親として認められないと。それを聞きながらスリランカの言葉を思い出しました。「子どもに対する親の気持ちは骨髄まで響く。でも子どもはそれを知らない」というものです。親が分かってくれない、親として認めないではなく、きちんと親の気持ちを受け止める努力はしたのかと聞いてみました。子にたいする親の気持ちは骨髄まで響いている。それをわかった上で、自分の考えを相談したらと話しました。
イエス様の公生涯は洗礼を受けることから始まります。マルコによる福音書では、人が洗礼を受けるのがごく自然なように、イエス様も「ヨルダン川でヨハネから洗礼を受けられた」としか書いてありません。マルコは、人としてあたりまえの出来事であるようにサラッと記しています。ただ重要なことは、そこで神様の言葉「あなたは私の愛する子」があることです。イエス様は「神様の子」であることの宣言が、私たちの信仰にとって一番大切であり、はじめに示されたことなのです。
ある本の中で、「母親の最高の知恵」という文章を読みました。「子どもが道ばたで転ぶ。アメリカの母親はどうするか。じっと見ている。助けに行かない。自分で立ち上がるのを待つ。独立心を植え付けさせためだ。日本の母親はとんで行く。助け起こす。『かわいそう、かわいそう』とほこりを払う。その瞬間は母子ともにハッピーだ。でも、将来を考えると暗い。最高の知恵を持っているのは、アフリカの母親だ。子どもが倒れる。どうするか。すばやく、自分も同じようにバタッと倒れる。子どもはびっくりする。『あ、お母さんも倒れたッ』母親は一人で立ち上がる。それを見て、子どもは自分で立ち上がることを学ぶ。これが母親の最高の知恵だろう。」アフリカの生活の厳しさが、そのような知恵になるのでしょうか。子育ても時と場所と環境によって様々に変化していくものなのでしょう。
イエス様は自分が神様の子であること、神様の心に適う者であることを受けとめておられました。その骨髄にまで響く親の心をわかっておられます。その御心が十字架の死であっても、み心に添ってその道を歩まれたのです。神様は私たちも子としておられます。そのみ心は知ることを始めたいと思います。
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