広島時代に出会ったお菓子製造の社長さんがおられました。ある日、異業種文化交流会で隣の席になったことが出会いでした。「実は先週パレスチナからかえってきたんですよ」と話したところ、大変びっくりされて「あなたは正気か。何をしているのか」と聞かれました。それが「微笑と感謝の会」の始まりでした。
その頃、広島教会の牧師をしながら全体教会の宣教室長もしていました。その働きの中で、パレスチナ・ベツレヘムルーテルクリスマス教会のミトリ・ラヘブ牧師と出会いました。パレスチナの牧師が計画していた音楽学校をつくる支援を考えていました。その事を話すと社長さんはすぐに支援を申し出てくださいました。「もみじまんじゅう」の「にしき堂」さんを紹介してくださり、分離壁建設によって倒されたオリーブの木を広島でパンフルートとして復活させるプロジェクトになりました。資金調達から製作者を紹介くださり、出来上がったパンフルートをもってパレスチナを一緒に訪問しました。その時、ベツレヘムにできた中近東で初めての音楽学校にピアノを支援、難民キャンプ支援もさせていただきました。最近では東日本大震災にてフクシマ支援、石巻支援、また熊本地震支援のために熊本を訪問して力づけてくださいました。
ご自身も2歳のときに広島で被爆されています。コロッと天国にいくかも、の言葉通り2月の誕生日に天に召されたそうです。きっと誰にも知らせなくていいよ、この世での生涯を生き抜いて天国にいくからということだったのでしょう。社長さんの祈りと願いはヒロシマの子どもたちが希望と平和を語り続ける事でした。被爆樹木からもパンフルートを制作され、千田小学校の子どもたちに40台送られました。
私にとっては父親のような存在。橋本清次さん!ありがとう!橋本さんの意思はこれからもずっと引き継いでいきます。千田小学校の子どもたちと共に希望と平和をパンフルートで語り続けてまいります。神様にある出会いを心から感謝します。