ローマ 3:22 イエス・キリストを信じることにより、信じる者すべてに与えられる神の義です。
有名な言葉であっても、意味を間違って覚えていることはたくさんあります。また、本来の意味から遠ざかっている言葉もあります。たとえば「頑張る」という言葉があります。日本人はこの頑張るが大好きです。今回の震災救援の時にも被災者に「頑張れ」という言葉が多数聞こえてきました。しかしこの「頑張る」は「我を張る」というのがもとの言葉です。「頑張る」と「我を張る」ではかなり違う意味になるのです。
ローマ書の中でも有名な箇所です。「神の義」は律法を守る、守らないには関係なく、イエス・キリストを信じる信仰によって、信じるものすべてに与えられるとパウロは教えています。ここを、「イエス・キリストが信じることにより」と読むこともできます。どちらにせよ、神の義が信仰により、一方的に、普遍的に与えられていることの恵みだと言えます。
あるとき、通りすがりに前を歩いている女性の声が聞こえてきました。「私の生き方は他力本願。人からやってもらうことばかりだから楽よ。何もしないですむもの」と得意げに話していました。これは大きな間違いだなと思いました。なぜなら、他力本願の基本には「信じる」ということがあります。なんでもタダやってもらうことが他力本願ではないのです。信じるという基本がしっかりあってこそ、他力本願であることを教えてあげたくなりました。
パウロは「イエス・キリストを信じることにより」と言います。これは信仰の問題です。信仰が確かなものとされるとき、すべてに与えられる神の義です。与えられた信仰のもとに生きていくこと。他力本願も信じるということからすると、楽なことではないと思います。
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