創世記 2:2 第七の日に、神は御自分の仕事を完成され、第七の日に、神は御自分の仕事を離れ、安息なさった。
「時間の感覚がなくなってきたらボケ始めたと思いなさい」と教えられたことがあります。確かに時間の感覚というの忘れがちになってきます。果たして自分はどこで時間の感覚を持っているのか。食事の時間か、礼拝の時間か。それぞれに時間を考える起点というものを持っているのでしょう。それが何を起点にしているか。どこでこの感覚をつかんでいるかを考えるのも楽しいかもしれません。
創世記には天地創造の物語が書かれてあります。神様の創造は6日で終わり、7日目に完成されます。神様の天地創造は「安息した」日も入って完成します。安息する(休む)ということは、天地創造の秩序には不可欠な要素です。神様はこの安息の日を聖別され、他の日と区別されています。この日を覚えることが旧約聖書では大切なことでした。現代の私たちは、この日を「主の復活の日」として毎週覚え礼拝をします。主の復活を覚えることは、生活のリズムです。
「海上自衛隊のレストランで、金曜日の昼はカレーライスと決まっている」とラジオから聞こえてきました。伝統的には土曜日の昼だったけれど、一般社会が週休2日制になったのを機に、金曜日の昼になったとのことです。カレーと一緒に、牛乳とサラダ、ゆで卵が必ず添えてあるのが定番だそうです。なぜ金曜日の昼と決まっているか?それは長い海上勤務では曜日の感覚がなくなってしまうからです。今日が何曜日だったかを呼び戻すためです。毎週金曜日と決まっているため調理員は、腕によりをかけて、オリジナルカレーの完成に努めていると話していました。確かに必ず決まった日の決まった時間に同じ物がだされるには理由があるのです。しかも今日が何曜日であるかを知ることは生活リズムにとって一番大切なことです。
神様がこの世界をつくられた時もきちんとしたリズムがありました。しかも一番大切な日として7日目を用意してくださっています。ここに神様は「安息」を置かれています。この安息は休みでなにもしないということではありません。私たちにとっては日曜日、神様のみ言葉を聞いて「安息」をいただく日です。教会で語られる福音が、そこに集う人々にとって「安息」をあたえるものでなければなりません。毎週のカレーではなく、み言葉が糧です。
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