箴言 31:12 彼女は生涯の日々、夫に幸いはもたらすが、災いはもたらさない。
引退された牧師先生が「うちのかみさんはシシカバブーだ」と笑いながら言っておられました。何のことだろうと聞いてみると「顔は獅子、体はカバ、前端ではブーだから」と。それはひどい表現だと奥様の方をみると「まあ言わせておいてください。私がいなければ何にもできない人ですから」と笑っておられました。長い年月共に生きてきた間柄なのでしょう。お互いが冗談を言い合いながら仲良くしておられました。笑いながら先生を見つめておられる奥様に、なにか暖かい高貴なものを感じました。
箴言の最終章は「有能な妻」についての格言で締めくくられています。人生における最大の幸福は、よき伴侶を見つけることだというのです。ここに登場する「有能な妻」は、料理や洗濯などの家事がよくできるというのではありません。彼女の働きは家の中の経済活動の中心です。生活全般の要の役割を担っています。そこでは、彼女がどのように生きているかが問われ、神様と共に生きる事が「有能」であると言います。
M.ルターの奥さんは、カテリーナ・フォン・ボラという人です。彼女は良妻とも悪妻ともいわれます。人々の記憶に残る働きをし、影響を与えた人だったのでしょう。だから、いろいろな伝説がのこり、人々が言い伝えてきたのだと思います。性格的には激しい人だったので悪妻などと揶揄されたのでしょう。しかし、最近発掘されたルターの家の地下台所からは、その生活ぶりや多くの人々の世話をしたカテリーナの働きの大きさがわかってきました。
私が感銘をうけた逸話は、ルターが宗教改革の動きに行き詰って塞ぎこんでいいた時、カテリーナが部屋に喪服をきて部屋にやってきます。ルターは「誰か天に召されたのか」と聞きます。すると彼女は「あなたのイエスさま・キリストが死んでいます」と言いました。ルターはハッとさせられ、それから宗教改革をより強く推進していくことになったという話です。カテリーナは、ルターにとってかけがえのない存在でした。
箴言は「彼女は生涯の日々、夫に幸いはもたらすが、災いはもたらさない」と言います。これは妻だけのことではなく、夫も同じだと思います。お互いが神様を中心として結びあっているならば、そこには幸いがあります。夫婦関係だけでなく、家族でも、職場でも神様を中心として共に生きることの大切さを思います
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