東北大学実践宗教学寄付講「第12回臨床宗教師研修」が熊本で開催されました。東北大学から出て行われるのは初めてのことです。熊本地震を通し、そこで活躍している九州臨床宗教師会との連携で行われたものです。今回も11名の宗教者があつまり、臨床宗教師となるべく学びを続けておられます。
私も臨床宗教師SVとして研修会に参加しました。特に被災地巡礼「行脚」を担当しました。今回は南阿蘇立野地区・阿蘇大橋の行脚を計画しました。まだ修復されていない村の納骨堂・墓地、僧侶、神主、シスター、牧師が集合しました。お墓はまだ倒れたまま、村の方々の痛み苦しみが伝わってきます。臨床宗教師の行脚は宗教宗派を超えて一列に並んで、それぞれの宗教の祈りを唱えつつ歩きます。被災地を歩き、被災者が亡くなった所では全員で黙祷をささげます。壊れた神社でも。
今回は私の村だったこともあり、何とも言えない感動と感謝がありました。この痛み苦しみの中にある村に、宗教者の仲間たちと共に立っている。苦難の現場に立つ宗教者の中に自分もいる。宗教者が必要とされている苦難の現場とはどこにあるのかを実感させられました。誰も寄り添う者のない所にこそ、宗教者は身を置くのだと。それが人々の希望になる。人々の痛み苦しみを感じるからこそ、苦難の現場に身を置くのだと。行脚の途中で村の方々、復興工事をしている現場の人々、トラック運転手さん達は深々と頭をさげられます。感謝して涙を流す方々もおられます。苦難の現場に立つ臨床宗教師の働きがそうさせているのだと思います。
宗教宗派を超えて共に歩く。なんでそんなことするのか。なにも他宗教と共にしなくても。自分の教会内だけでいいのでは。疑問の声はきこえてきます。それでも宗教者として、キリスト者として苦難の現場に身を置く牧師でありたいのです。