創世記 23:2 サラは、カナン地方のキルヤト・アルバ、すなわちヘブロンで死んだ。アブラハムは、サラのために胸を打ち、嘆き悲しんだ。
先輩牧師が天に召され「神様のもとへ送る会」を行わせていただきました。ある方には父という存在、よいおじいちゃん先生でもありましたが、最後まで牧師として生きた方でした。イースターには寝たきりの方を訪問してくださり、聖餐式をしてくださいました。その最後まで牧会者でもありました。訪問をかかさず、失われた羊をいつも心にかけておられました。我が家の三女は「お父さん、パンをくばるおじいちゃんが死んだんじゃろ」といいました。次女は「お父さん、これから聖餐式はどうするんね」と聞いてきました。先生の姿は私たちの命の源である、イエス様の体と血とを配られるその聖餐の姿として私たちの心に残っているのです。
アブラハムの妻サラが、ハランを共に旅立ったときの年齢は65歳でした。サラが天に召された年齢は127歳とありますから、アブラハムと過ごした年数は62年間でした。彼女はアブラハムの召命と共に旅をする人生を送りました。大変なことだったと想像できます。その妻が天に召された時、アブラハムは「サラのために胸を打ち、嘆き悲しんだ」とあります。アブラハムは深い悲しみの中にあって、サラの葬式に取り組みました。心を砕き、熱心に交渉し、一つの土地を得るのです。アブラハムがサラの葬式のために多くの時間を費やして取り組んでいることに感動します。
被災地で「最後をきちんと送ってあげたかった」と言う言葉を聞きました。行方不明者の捜索が続く中での言葉です。家族が乗っていた自家用車を必死で探している方にもお会いしました。せめて自動車だけでもみつかれば、そこで生きていた証しに触れることができる、供養ができると言われました。天に召されていった方をきちんと送ることで、次の一歩が踏み出せると言われていました。深い悲しみの中にあっても、先に一歩踏み出さねばならない勇気を持とうとされているのだと感じました。
アブラハムは、人生の苦難を共にし、神様に従ってきた妻サラの死に嘆き悲しみました。しかし、彼女をきちんと天に送ることができました。アブラハムは、神様から与えられた約束の地に墓地を所有することになりました。この墓地がアブラハムにとってかけがえのない土地となり、いまもなおその信仰を示す場所になっています。
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