自分が出版した本、書いたエッセイ、論文などがどこで役に立っているか調べたことはありません。最近、メールやお手紙で引用許可を頂くようになりました。まさか自分の書いたものを使っていただくとは。大変光栄なことだと感謝しています。
先日も2つのことを教えて頂きました。人々の苦悩に寄り添う研究をしている大学生がある牧師の所にこられたそうです。被災地において宗教者がどのように考え支援活動をしてきたかを調査していたとのこと。その牧師は私の「被災地に立つ寄り添いびと」を紹介しようとされました。ところがすでに持っていたそうです。自分に話を聞くよりも本を読むことを薦めようとしたのにと笑っておられました。その話を聞きながら、自分の本が用いられている喜び、出版してよかったと神様の導きに感謝しました。かなり書きにくいことも率直に書きました。どうしても書き残すべき事を正直に書きました。それが用いられてよかったです。
次の日「先生が神学校卒業論文に書かれたものを一部引用させていただきたのですが」というメールがきました。とにかく驚きました。ルーテル教会ではない方だったのです。しかも卒論といえば遠い昔のこと。神学校の図書館に1冊だけあるものです。どうやってこの卒論に出会われたのか。とても興味がありました。私の幼い卒論の何が必要だったのかをお聞きしました。するとある神学教授の方から教えられた。また自分の興味がある「問と答え」を聖書的にどのように追及しておられるかを知りたかったと言われました。なんということでしょう。もっとしっかり書いておけばよかったと反省しきりでした。ただいまでもわたしのテーマは「問と答え」なのですが。
祈って書いてきたものですから、神様は必ず用いて下さる。かき捨てにはならない。その時の信仰によって書かれたものは生かされていくのですね。ああ感謝!