私たちのもとから、廣石禮子姉が天に召されました。89歳を迎えたばかりでした。この7年を清雅苑(老人介護施設)過ごされました。今頃は神様のもとでご主人、エリス先生との再会を楽しんでおおられるのが目に浮かびます。
廣石禮子姉といえば天草教会を思い起こします。エリス先生の依頼と派遣で天草の地に単身で遣わされ、幼児園の園長としてその生涯を全うされました。その幼児園が天草教会となり、大江教会の天草集会所として幕を閉じることになりました。一つの教会が誕生し、そしてその宣教の使命を終えて閉じられていく。廣石禮子姉はそのことを受け止めがら晩年を過ごされていました。
廣石姉は、草葉町教会の宇野牧師より洗礼を受けられました。それは病床洗礼でした。若くして結核を患い結核療養所でキリストと出会われたのです。そのごルーテル教会の宣教師であったエリス先生に導かれて堅信礼を受けられました。ここから廣石姉のキリスト者としての奉仕の人生が始まったのです。天草幼児園に派遣され、保母資格習得のために慈愛園で働き、伝道師となるべく神戸聖書学院で学び、途中天草幼児園の園長として急遽熊本へ呼び返されました。それから30年にわたって幼児園で奉仕されました。この幼児園が天草教会を生み出したと言うのは神様の導きでした。多くの子どもたちがキリストのみ言葉のもとに育てられ社会に巣立っていったのです。
天草に単身で派遣される。しかもまだ20代だったでしょうか。神様に派遣されることの強さを感じます。その働きを支えたのはもちろんイエス様です。そしてエリス先生です。晩年に好任兄結婚され兄もエリス先生から洗礼を受けられました。「イエス様に感謝。イエス様に感謝」が最後まで口癖でした。偉大な信仰者を天に送りました。