緩和ケア病棟カフェでは多くの出会いがあります。毎週1回ですが、お坊さんと牧師の2人で病室を回らせていただいています。初めて声をおかけする時は緊張します。それでも一言の会話が出来ればその後はすこしつながりを持つことが出来ます。
昨年の9月からはじめて、すでに8名の方を天に送りました。緩和ケア病棟ですからそれを受け止めてはいます。毎週が一期一会です。人は最後まで人と話すことで自分の人生をまとめていかれます。そのほんの一部に私達が関わらせていただいています。
入院しておられる方だけでなく、家族との出会いもあります。見守る家族の心は複雑です。ご本人は死を受けとめようとしておられる。しかし家族はそれを受けとめることできない。受けとめたくない。「なぜ」という問いを持ちつつその人の傍らにおられます。何もせずにここにいるのでなく、もっと治療が出来るのでは?私たちは家族の方々とも話をさせていただきます。受けとめなくてはいけないけれど、受けとめたくない。そのような心の内面を話してくださいます。どのように答えてよいかわかりません。しかし答えなど必要ないのかもしれません。聞いてほしい。その事が内面にあるのがわかるからです。寄り添うとは、その人の苦悩に寄り添うことだと思います。死を見据えておられる方、受け止められない方、家族。それぞれの中に深い苦しみがあります。その苦しみに寄り添うには私も共に苦しむことが出来るかを問われます。一番深い所にある苦しみと向かい合いながら、何も語ることができない状況のなかでそこに居続けることが宗教者の役割だと学んでいます。
「現場の苦悩に寄り添う」。その現場とはどこなのか。臨床宗教師として牧師としての働きを問いながら毎週緩和ケア病棟に通っています。