マタイ8:27 いったいこの方はどういう方なのだろう
広島に上田宗古流というお茶の流儀があります。名前だけは知っていましたが、昨年東京に支部を作られたというのです。その支部はキャリアウーマンと呼ばれる女性たちで一杯だそうです。なぜ「茶道」なのか。それは上田宗古流が武士のお茶だからだというのです。現代社会の中でなくなっている「武士道」にひかれる女性が多く、その「凛」とした姿にあこがれているとか。社会にもこの「凛」とした潔さを見いだせないでいるというのです。だから自分から「女武士道」を求めようというわけです。そういわれてみれば自分にも「凛」としたものがかけているかな?と反省しています。
イエス様はガリアヤ湖で風と波を静められました。弟子たちはその姿をみて「この方はどういう方?」という怖れにもみた感想をのべています。その力強さ凛々しさに普通ではないものを感じ取ったことでしょう。「いったいこの人は?」と興味を持たせる人がいます。それをカリスマと呼ぶのかもしれません。イエス様は弟子たちの前で、この一瞬の輝きを示されるのです。
東日本大震災仮説支援を石巻で行っていました。ルーテル教会はいまも女性会が仮説支援を継続しています。これまで共に活動させていただいた社協の課長さんから興味深い話をお聞きしました。「お茶っこ」がまだ初期の頃です。何をしていいかわからず。歌、踊り、ビデオと試行錯誤だったそうです。その中で一瞬被災者の女性たちが輝いた瞬間があったというのです。それは被災後に「化粧」をされた時だったそうです。メイク関係のボランティアがこられ、女性たちに化粧をされたとき口紅を引いたその瞬間にみな凛々しくなったと。女性が化粧をするということは特別な意味があり、それは人を凛々しく立ち上がらせる力を持つものだと思ったそうです。
私たちの中でも「この人は?」と思うとき、その人の中にある何かに触れるのでしょう。私たちはイエス様の「何かに」触れているから、ひきつけられるのです。しかし、その「何か」には生きるために必要なもの、苦しみ悩みから立ち上がらせるものがあります。大江教会の宣教も神様の業です。ここにある「何か」を見出すとき、私たちは力強く前に進むことができます。ここにはイエス様がおられるからです。
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